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大橋家 日通との戦い
父は日通に追い詰められ、自らの命を絶ちました。これは父の名誉を晴らすため、日通の実態を明るみにし、次の犠牲者を出さないよう始めた、私達と日通との戦いを綴った日記です。10年2月15日に安全配慮義務違反を認定され、父の名誉を晴らす事ができました。これからは、労働問題で苦しんでいる人達と、今も日通と戦っている人達への支援を趣旨とし、運営をしていきたいと思います。
2012年5月29日・王寺アスベスト裁判・大阪高裁判決
 判決は4月19日の予定でしたが、5月29日に延期されました。

  判決当日、午後1時15分、大阪高裁82号法廷において、被告側に日通1名とニチアス1名
の弁護士、原告側に原告2名と弁護士2名が着席し、多くの支援の傍聴者が見守るなか、判
決が言い渡されました。「原告、被告ともに棄却、ニチアスの敗訴部分取消し」と言うも
のでしたが、具体的に何がどうなったのかよくわからないので、「棄却」と「ニチアスの
敗訴部分取消し」の言葉で、法廷は重苦しい雰囲気になりました。

  閉廷後、原告弁護士がマスコミの取材に応じ、同階の待合室で支援の方々に対する報告
会がありました。

 まず弁護士からの解説

「3つ控訴していて、原告は控訴棄却、日通は控訴棄却、ニチアスは控訴認めるにな
った。判決内容【粉塵が飛散しているのに日通は安全配慮を怠った。ニチアスは雇用関係
がないから日通と同じ責任は生じない、ニチアスとは指揮命令関係がない、専用机は運行
上じゃない、作業立会は事務作業で日通の指示。日通は危険性を認識、日通社員として行
動、ニチアスの支配下で仕事しているのではなかった。本人は少量曝露でありニチアスが
危険性の認識が可能だとは認められない、当時は工場への出入りにも安全配慮義務を負
っていたとは認められない、有害性・危険性を“発がん性”と言わなくてもわかるだろう。
本人は衛生管理者で社労士資格があったから10%の過失相殺(原審を維持)】。1審は
『日通もニチアスも連帯して責任ある』と判断したが、2審は『ニチアスに責任なし』。
トータルの賠償額は変わらない(日通が判決賠償額全額の支払義務を負う)」

 そのあと原告から
姉「ニチアスが責任ないとはショックです。最近の判決から高裁の壁は厚いと感じまし
た」
妹「まったく全面敗訴するんではないかと不安で、4年のうち最後の1年がきつかったで
す」
 
〔筆者の高裁判決を受けての感想と独白〕
  ニチアスとは雇用関係がないから責任がないとするならニチアスは自らの工場で働く下
請労働者や出入り業者の労働者の健康など考えなくて良いことになります。駐在の日通社
員は顧客であるニチアスの指示命令を聞いて指示通り作業手配し自らも事務や作業立会い
だけでなく作業を手伝って働くのが実態で、ニチアスの直接雇用労働者に比べても最もニ
チアスの顔色を見ながら従属して長時間拘束されニチアスには安全配慮など必要なものを
何も要求できず働いています。高裁判決はこの当たり前の理屈と労働実態を理解しない不
当な判決です。ニチアスの責任を認めた地裁の判決が常識ある判決だっただけに残念で
す。
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王寺アスベスト裁判控訴審結審
 昨年9月21日の第1回控訴審弁論が開かれてから、弁論準備を経て、口頭弁論が2012年
2月2日(木)午後2時から大阪高裁82号法廷で開かれ、書面の確認などがあって結審しま
した。

  裁判長は、ニチアスに対し「文書訂正は必要ないので却下する。弁論準備で聞いてい
る。どういう意味で必要性がないかは判決で示す」と説明したあと「4月19日(木)午後
1時15分に判決言い渡し」と知らされました。

  その前に、原告が当日提出の書面を、ニチアスが受け取らないと駄々をこねた場面もあ
り、裁判官から促されて結局受け取りましたが、ニチアスは相当追い詰められていると感
じました。

 閉廷後、同階の待合室で報告会がありました。
 
 A弁護士は「弁論準備手続きでは、裁判官がホワイトボードに書いたりして熱心だ
った。日通から『日通元社員(上司・同僚)を証人として聴いて欲しい』と言われたが、
裁判官は『一審の証拠で判断する』として却下した。ニチアスは『(日通社員が)王寺工
場(内)に居る訳はない』と主張。ニチアスが提出した1970年の粉塵測定データーの濃度
は少ないが、発癌は低い基準で起こることが1960年国際会議でも報告されている(車谷先
生)。ニチアスの提出証拠は『環境改善委員会の記録』であり、少量でも癌を心配して環
境改善を行おうとし、少量での発がん性は認識していたのではないか」

  B弁護士は「ニチアス弁護士が本日提出した反論再確認のための原告書面を受け取らな
いと言ったのは、弁論準備で『従業員陳述書の方が正しい事実だ』と言い張ったことに対
し、『反対尋問がないから証拠性がない』却下されたことの腹いせで、代理人弁護士のニ
チアスに対するパーフォーマンスだろう」

 C弁護士は「悪い結果が出る可能性は低い。良い判決が出ますようにと願っている」
  原告(妹さん)は、「(証拠に)なかなかバシッとしたものがなかったので、弁護団に
ご苦労をおかけしました。今日は極寒の日、7年前の2月に父が死去しましたが、父は寒い
のが嫌いでした。判決を聴きに来ていただけたらと思います」

  原告(姉さん)は、「長かったです。被告書面を読むたびに傷付きます。反論していた
だいた弁護団に、傍聴に足を運んで来て下さった方々に、感謝しています」

 判決は4月19日(木)午後1時15分、大阪高裁82号法廷で言い渡されます。
王寺アスベスト裁判・控訴審の模様
 9月21日午前10時30分から大阪高裁82号法廷で第1回控訴審弁論が開かれました。

 まず、提出された書面と原本が確認され、「日通は答弁書を出してない、ここで“棄却を求める”と日通が言った事にします」と裁判長から言われ、いい加減な日通です。

 日通は、「(原告に)反論したい。89歳の証人を70歳ぐらいに見えるから申請したい」と言い、ニチアスは「一部反論したい」と言って、亡くなった本人の手帳の提出を要求。

 裁判長は、「予見可能性の時期の検討が充分出来ていない。期日をもう1回したい。日通は2800万円を400万円にしているが『(原告は、その)改定自体を認めない』と理解している。」とし、和解の可能性を三者に聞き、原告は和解の話し合いに応じる。日通は和解の話し合いはしてもよい、ニチアスは和解の話し合いは難しいと答えましたが、裁判長は「話し合いを試みて、ダメなら速やかに進行する」としました。次回は(傍聴できない)弁論準備で11月9日(水)午後4時からに決定。

 閉廷後、場所を大阪労働者弁護団事務所に移し、弁護士から解説がありました。

 「裁判長は交代したので書面を充分読めていないようだ。亡くなった本人は1969年~71年までニチアスの王寺工場に日通から専属として配属され働いていた。定年退職後の再雇用時に中皮腫を発病。一審は両方に責任ありとしたが、衛生管理者資格があったからと1割減額。双方控訴した。日通は『本人は衛生管理者であり本人責任。粉塵濃度は高くなく安全配慮義務が必要ない状態だった』、ニチアスは日通の主張に加え『直接雇用でないから安全配慮義務はない』と主張。裁判長は『予見可能性を調べたい。特に予見対象が何であるか考えたい(「危険だと分かっていて対策すべきだった」と言えるか?)』『石綿肺はアスベストを多量に吸い込むとなり、危ないからこうしようと言われていたが、中皮腫は少しのアスベストでもなる新しい病気で、そのように言われていなかった』に対し、原告は『医学的にもはっきりしていて対応も求められていた』と主張。本人の日記のように付けていた手帳をニチアスが証拠漁りをしてきて提出することになった。衛生管理者で1割減額判決については、資格はあったがその地位になかった(実際に着任していなかった)と原告が主張。裁判長が『和解になる事件、試みをしよう』と、次回は弁論準備となった。日通は証人を2人申請するようだが、一人は高齢であったり、もう一人はハッキリ覚えていなかったりで、必要ないと言うつもり。判決の前に、もう1回弁論がある。一審判決の仮執行宣言で強制執行できるが、日通もニチアスも、それぞれ担保金を積んで“(強制執行を)やめてくれ!”と申し立てたが、その金額が、双方合計で3600万円にもなり、一審判決は2600万円で、裁判長は「それだけ金を積んでるのだから、原告に払ろたれよ!」という意味のことを言っていた。日通は直接雇用だから和解でもという考えがあり、ニチアスは直接雇用関係ないから、判決で判断してもらいたいがあるんでは」

 その後、尼崎アスベスト裁判の飯田さんから今後の裁判日程、全日通労組裁判で2連勝の梅川さんが定年退職後の再雇用を断られたと言う報告がありました

王寺アスベスト補償裁判が勝利!
判決は、来年2011年3月30日(水)午後1時10分、大阪地裁1010号法廷で言い渡されました。

支援の傍聴者や取材陣が押し寄せ、傍聴券の抽選となったため法廷内に多くの方々が入れなくて外で見守る中、判決が言い渡されました。

2~3分して、法廷から勢いよく出てきた支援者が「勝利!勝利!」と喜びの第一声。

大きな拍手が沸き起こりました。

そして、大勢の支援者が来ていましたので、場所を大阪労働者弁護団事務所に移し、報告集会が持たれました。

判決の主文は、「①日通社内規程にある弔慰金2800万円は棄却②日通・ニチアスに対し安全配慮義務違反で妻が1300万円、子二人が夫々650万円の損害賠償を認める。③裁判費用は責任割合で会社7、原告3を負担」でした。7割勝ったということになります。

まず、原告である妹さんから「2002年春に父が中皮腫とわかり、それから9年間、目の前が真っ暗になることが何度もありました。その度に立ち上がり歩くことができました。父の姿が前へ前へと導いてくれたからです。会社は責任が及ばないように額をどう減らそうかに終始していましたが、弁護士さんの書面、応援の方々を心強く思っていました。」

お姉さんは「裁判を始めるめで3年かかりました。父は安らかな最期ではありませんでした。「あとは頼む」と。アスベストで殺され、企業のやりとりで辛かったことが一生なくならないで続きます。皆さんが共感して下さったからここまで来れました。」

そのあと、尼崎アスベスト裁判を闘う遺族から「あとに続く、他人事ではない、涙が出るほどうれしかった、勇気をいただいた。」と言葉があり、そして、奈良ニチアス元社員、泉南アスベスト裁判、日通元SD差別、全日通労組立候補の自由侵害裁判、の夫々闘う方々から、ねぎらいの言葉や報告があり、その後の記者会見に臨みました。

その模様は多くのマスコミから取材があり、たくさん報道されました。

その後、原告も被告も控訴したと連絡がありました。

6月9日 王寺アスベスト補償裁判 証人尋問の模様
 いよいよ証人尋問の日が来ました。6月9日(水)午前10時20分から始まりましたが、本日と16日に予定されていた証人尋問の日程が変更になり、本日だけの証人尋問となり、16日はなくなりました。

 最初午前中は原告の吉崎和美さん(アスベスト禍で亡くなられた元日通社員の娘さん)、そして午後からはニチアスの現職課長が証人に立ちました。

 傍聴席が一杯となり、立ち見が出来なので、数名が傍聴できませんでした。

*原告に対する日通側の反対尋問は、
高野弁護士:「労基署からアスベスト関連所見が確認されない、組織生検が必要と言われて、何故しなかったのか?」
原告   :「医師は生命を奪うことになるから---としなかった」
高野弁護士:「1年後に厚労省は所見を認めたが、なぜ?」
原告   :「医師から、アスベストが見つかったと連絡があったので」
高野弁護士:「1本か2本か?」
原告   :「本数は分かりません---」
高野弁護士:「労災が毎年、○○万円出てますね?」
原告   :「母が受け取ってるので--- 金額は分かりません」
と、「あやふやな所見で、多額の労災を受けているじゃないか!」と言わんばかりの尋問でした。いくら、会社側の弁護士でも、これはヒドイ---。

*原告に対するニチアス側の反対尋問では、
支援組織について、病気入院で法廷に証人として来れなくなった元ニチアス社員の「日通社員が倉庫で作業していた」と言っていたことについて、口述パソコン訳(父が口述し、娘がパソコンに入力)の内容について、などなどの、意地悪な尋問をしていました。

*裁判長から促されて、母や姉の思いを、和美さんが次のように述べられました。
「母は、睡眠剤を飲まないと眠れません。20年以上の闘病で父を頼りに生きてきました。父の喪失は言葉で言えません。パパが生きていたらもっと安心しておれたのに---。父は母の介護を気にかけていて、最後の外泊の時に『仲良くして欲しい』と言われました」
「姉は、『やっと生まれた孫なのに、一緒におれる時間がなかった』」と---。ほとんど涙声で、聞き取ることが出来ないくらいでした。

*ニチアスの現職課長に対する反対尋問では、
「引き込み線は記憶にない」「麻袋に入ってビニールのダブル梱包だと、上司に聞いた」
「原石をそのままラインに流す。手ガキで穴開いてたのは見たことはない」「石綿は麻袋に入ったままパレットにハイ積みしていたが、高さは分からない」「青石綿はなかったと聞いている〈---実は、後で青石綿を使っていた証拠を指摘された〉」「運搬は記憶になかったから数回と言った」「第4倉庫の詰所に4つくらいの机があったが、Sさんと吉崎さんがそこのストーブで暖を取っていたことなどはなかった」「運送業者の机は、見たことない」「ニチアス従業員はマスクを必要に応じてしていた」「第5倉庫ではホコリは立たない」「日通社員はマスクをしていない」などと課長は答えていましたが、自らの陳述書や総務や元社員が言ってることと食い違っているのを指摘されて、シドロモドロになっていました。また、石綿主原料の検収は、別のニチアス社員が行なっていたにもかかわらず、その者は証言に立たず「自分は会社に一番良く知るものとして“抜擢”されて証人になった」と言い、吉崎さんが常駐して作業していなかったことは間違いなくハッキリ覚えているが、他の不都合なことは「記憶にない」と言い、矛盾を突っ込まれると「実際見ていない、そのように聞いた」などと白状し、聞いただけで自分が実際に確認していないことでも「間違いない」といい切る(伝聞は証拠にならない)、ウソ丸出しの証言でした。

*裁判官の質問では、
「日通以外の他の業者も机は設置されていなかった」「ロッカーはニチアス社員のものを使っていた」「マスクは必要に応じ支給されていたが、どう言うときに使えと言われたか覚えていない」「アスベストは身体に悪いとは考えなかった、あぶないとは分からなかった」「自分は当時、副資材の入庫担当で、第5倉庫の主原料の検収担当ではなく、実際はやったことはないが見たことはある」「ハイを数えるのは、実際していない」「マスクをする指導などは覚えていない、アスベストを含んでいたはずと言われたらアスベストの埃を含んでいたかも--」「引き込み線あったことは聞いているが、話題にもなかった」「机はなかった」「ビニールは見ていないが、上司が当時を振り返って話したことを最近確認しているので、ビニール梱包は間違いない」と課長は答えていましたが、マスクをする意味は分からないや、埃にアスベストは含んでいないと強調する余り、ウソがばれました。

証人尋問が終わり、報告集会が行なわれました。
・弁護士「証人4人の予定が、高齢や入院などで来れなくなり、2人だけになった」「故吉崎さんが闘病中に書いたものや労災申請で準備したものを書面提出した」「ニチアスの証人はウソを言ってると裁判官も分かったんでは」
・和美さん「父から聴いたことしか言うことがない。真実を言った。ここまで来るまでよれよれ。弁護団先生、みなさんありがとう」
・赤井さん「日通の弁護士はニチアスの証人を窮地に追い込んでいるようだった。責任のなすりあい?」
・弁護士「日通に責任ない、と言いたいでしょうから」
・故吉崎さんの弟さん「ご支援でここまで来れました、ありがとう。ニチアスの証人は、日通は倉庫に入っていない、机はない、埃は立ってない事は、明確に覚えていると言いながら、マスクの事ではいい加減、ニチアスの課長では--」
・お姉さん「死の間際まで父が記録を残してくれた。『妹が』眠れない中で長い陳述書を書いた」
・最後に、全日通労組「立候補の自由」裁判、尼崎アスベスト裁判、アスベスト労災不支給裁判、SD裁判、泉南アスベスト裁判、を闘う方々から、簡単な報告がありました。

 一日がかりの証人尋問が終わり、次回は結審(弁論終結)で、最終準備書面提出や進行協議を経て、10月27日(水)午後3時30分、大阪地裁1010号法廷で開かれます。

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