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| プロフィール |
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Author:大橋家
 主な執筆者はアメリカ現住の長男・次男。 07年7月30日に日本通運を相手取り訴訟を起こし、現在裁判中。
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| 大橋家 日通との戦い 私達の父、大橋均は日通に追い詰められ、自らの命を絶ちました。これは父の名誉を晴らすため、倫理道徳の欠如した日通の実態を明るみにし、次の犠牲者を出さないよう始めた、私達と日通との戦いを綴った日記です。 |
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| たくさんの日通社員・元社員の方が今も苦しんでいて、そして戦っている |
長男です。
この裁判やブログを通して本当にたくさんの日通社員・元社員の方が 今も苦しんでいて、そして戦っている事を知りました。
不当な賃金下げ、パワハラ、いじめ、退職強要、無理な肉体労働、補償のない残業。
私の父もそうでしたが、日本は私の住むアメリカと違い、たくさんの人は 会社に不当な行為を受けても、組合に加入したり、裁判を起こしたりする事はしません。
いや、できません。
それは自分の生活を守るためだったり、経済的な事だったり、 家族のためだったり、、、。
私たちも今回始めて裁判を起こし、裁判についていろんな事を学びましたが、 やはり日本では裁判をするのには、弁護士費用だけではなく、 手続き費用、準備費用、いろんな費用がかかるだけではなく、 ケースによっては判決が二年、三年かかる場合があります。
訴訟を起こす方すべてに共通している事は、大きな代償を払ってでも、 正義のために、正しい法の下で裁きを下してほしいという 断固たる決意がある事です。
いつまでの風化しない気持ち、心の傷、そして決意があるからです。
今も尚苦しんでいる人のため、自分のために決意を決めて戦う。 立派で勇気にいる事です。
私たちも全国で日通と戦っている人たちと手を取り合って、 総力戦でこの大きな企業と戦って勝訴できればどれだけよいでしょう。
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| 夫がなくなって450日になります。 |
夫が亡くなって450日になりました。 生きていればもうすぐ58才の誕生日がやって来るはずでした。 満60才になれば定年退職になり第二の人生が始まりゆっくり暮らしていけるはずでした。
私は夫の死後、毎日のように夫の人生を振り返り、時間だけがどんどん過ぎていき、私の心の中の時間は止まったままです。
一般的な会社員の夫、専業主婦の私、普通の息子たち、私達のような普通のサラリーマン家庭で、ごくごく普通の生活をしていたのに、こんな悲劇が起きるとは思いもしませんでした。この現実を受け止められず、今も毎日悲しく、悔しく涙を流し、あの時はこうすれば良かった、ああいう風にすれば良かったと後悔が止まりません。心身ともにポロポロになった夫を救えなかった、会社のいじめから夫を支えてやれなかった、死の淵を歩いていた夫を救えなかった、こんな自分は死でしまえば良かったと思っていました。
夫はよく夢で出てきます、何故かいつも無言、きっと私の事が心配でこっそり見に来てくれているのだと私は思います。 私は生きる事が夫に対しての償いと最近は思うようになりました。
まだまだ心の整理は付きませんが、なんとか息子たちと夫の供養のためにもがんばって行きたいと思います。
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| 日通社員だった方、今も社員の方、私達にお力をお貸しください |
長男です。

先日母が組合員の方と日本通運大阪支店の前でビラ配りをしてきた時の写真です。
このビラ配り運動は、直接私達の事件とは関係ないのですが、 先日私達の裁判の傍聴に来てくださった方の中に 賃金問題で現在日通と裁判中の方がおり、 その方の支援でこのビラ配りに参加したそうです。
このビラによりますと、この方の会社は日通への移籍後、 いきなり正当な理由もなく、賃金を半分にされ、 現在自給1000円のバイト並の給料で働かされているそうです。
気温5度の寒さの中、朝の6時半から9時までビラ配りをしたそうです。
私達のケースもそうですが、個人が日通のような大企業と戦うためには たくさんの方の支援と協力が必要です。 それも過去に日通で働かれていた方、 または現在も日通で働かれている方の協力が必要です。
なぜなら、会社の行いを事実として立証できる力を持っているからです。
日通側は、私達に事実を立証できるたくさんの証拠がない事をいい事に、 「そんな事実はなかった」と主張し、父を死に追いやった事でさえ、 会社には問題や落ち度はなく、まったく自分達に責任がないと主張しています。
「こんな勤務形態で働いていた」 「有給をなかなか取らせてくれない」 「病気で休んだだけでも嫌味を言われる」
この程度の証言だけでも十分なんです。 この程度の証言だけでも裁判の流れを変えられるのです。
社会のため、自分のため、日通のため、この会社の体質が改善されなければ、 今も尚苦しんでいる人は救われませんし、次の犠牲者が出ます。
皆さんは日通社員の死亡原因に自殺が多いってご存知ですか? この事実が公になっていないのは、たくさんの人が日通のような 大企業には勝てないと諦めてしまっているからです。
しかし皆様の力があれば違います。
私達、そして今も尚日通と戦っている人たちに皆様のお力をお貸し下さい。
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| 特別に配慮して頂いた冒頭意見陳述の機会について |
今回は少し前の話になりますが、訴状を提出したすぐ後に 裁判所により異例に設けられた冒頭意見陳述について書きたいと思います。
通常、民事裁判の最初の段階では、原告の訴状提出後は被告が訴状への反論を 答弁書としてまとめ、口頭弁論や争点整理手続などの期日において 当事者と裁判所が議論して真の争点は何かを確認していくそうです。
しかし、私達の場合は事件発生直後から実名で事件の内容を公にしていたり、 日本通運という大会社を相手取った「労働環境問題によるうつ病自殺」という 現代の社会問題についての訴訟だった事で世間の注目もあり、 裁判所から議論を始める前に、この提訴に当たっての原告側家族の気持ちを 冒頭意見陳述という形で聞きたいという事で、この機会を異例に設けて頂きました。
これが私の母が陳述した意見の内容です。
文頭でも簡単に触れましたが、基本的に民事裁判では 争点の議論、事実や主張の立証を書類を通して行う事に重きを置かれて、 原告側がどんな思いで訴訟を起こしたかについては触れられません。 私達のケースはこのような機会を設けて頂けて、本当に幸運だったと思います。
裁判官も被告側の人間も同じ感情を持った人間です。 私達の思いが少しでも届けば、裁判もきっと良い方向に進むのではないかと思います。
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| 冒頭意見陳述の内容 |
夫は、1969年19才で日本通運に入社し、37年7ヶ月、一生懸命会社一筋に働いてきましが、昨年11月5日に自殺をしました。
1995年、夫は得意な英語を活かした添乗業務から、機内の清掃をする会社に出向を命じられました。この出向会社の社長から「君は49歳だからもう行くところがない。どこも雇ってくれない,君にはその危機感がない」と言われ、非常にショックを受けていました。さらに追い討ちをかけるように、成田へ単身赴任の転勤を命じられました。まじめだった夫は、プライドを傷つけられても、逆らうことなく、屈辱に耐えていました。左遷とも取れる命令にも、文句を言わず、会社のため、家族のために従いました。
会社は、さらに、夫を別の会社に出向させ、荷物をコンテナに積む肉体労働、朝が早かったり夜が遅かったりする不規則なシフトを命じました。この時も、夫は文句も言わず、黙って会社の決定に従いました。
会社はC型肝炎の夫に、病気への配慮を一切しなかったばかりか、辞めたくなる冷酷な人事異動を命じ、遠方へ転勤をさせ、肉体労働を押し付けました。 結局、夫は病気発見から十年近く、やむおえず治療を先延ばしにせざるえませんでした。
単身赴任から関西に戻ってくる事が決まり、医師から「年齢的にも、肉体的にも治療に専念する最後のチャンス」と言われた時、夫は、入院すれば「辞めさせられないか?」、「また左遷させられないか?」と心配ばかりしていました。私も息子たちも、夫の身体を心配して入院を進めた結果、勇気を出して、会社にその意向を伝えることを決めてくれました。
話を聞いた支店長は、強い不快感を示し、「人事異動に不満があるのか?」、「なぜ移動前に治療を受けなかったのか?」と、信じられない残酷な言葉を浴びせました。
裁判長を始め皆様は、自分の家族が入院治療を必要とする時、そのことを本人がお願いに来た時、どのように接するでしょうか? 私は夫の対する会社の仕打ちを許しません。
夫は、35年間ろくに有給休暇も取らず、子供の運動会にも休まず、まじめに誠実に会社のためにがんばってきました。支店長の言葉は、どれだけ会社のために尽くしてきた夫を傷つけたかわかりますでしょうか?
会社は夫だけではなく、家族も苦しめ、不安にさせ、追い詰めてきました。私もこの数年間、睡眠薬を飲み続けなければいけないぐらい、不安で眠れない毎日を過ごして来ました。夫は、私よりも苦しんでいるからこそ、私がしっかりし、家族を守っていかなければと、いつも心に刻み続けてきました。結局、入院はしましたが、夫は「解雇されるのでは」と常に不安をもちながら、「会社に迷惑をかけたくない」と、複雑な思いで治療には専念できず、早期復職を希望しました。
夫の苦しい思いとは裏腹に、自宅待機を命じられました。会社からの連絡がなかったこともあり、不安を抱えながらも勇気を出して復職のお願いに行った夫に対して、会社は、再び残酷な言葉を浴びせました。 「半年の通院治療が必要なら仕事にならない。会社に迷惑を掛けていると思うなら、この際身を引いたらどうや!」と言われました。「解雇される?」と、いろんな不安や恐怖を抱え、家族のために勇気を出し、誠意を持って、命の危険のある病気の入院治療も縮め、早期復職のお願いに行った夫の気持ちがわかりますでしょうか?
そんな夫に、この言葉はどれだけ苦痛だったか重かったかわかりますでしょうか?
夫を精神的に追い詰める言動が重なり、夫はうつ病になっていきました。
自殺の直接のきっかけになった事です。食事が喉を通らないほど悩み、10日後に楽しみにしていた息子との旅行も待てないくらい辛く苦しみぬいて、夫は、遺書も残さず、自らの命を絶ちました。 夫のミスではないかもしれないささいな仕事のミスで、大声で叱責をされたり、「イエローカード」なる社内メールで「もう後がないよ」と追い詰めたり、自宅まで電話かけてきたり、異常な責任追求をし、過大な圧力で責め続け、死まで追い詰めた会社を絶対許すことができません。夫の死後1日も経たず、息子たちが帰国しておらず、精神的に不安定な私に、夫の退職手続きを迫ってきました。こういう状況の中、誠意も見せず、夫の死さえも事務的に扱おうとしました、この非人間的行為に、私は怒りと恐怖を覚えます。
会社は「社員の自殺」でさえも、あくまでも事務的に処理をしようとする倫理道徳の欠けた体質を持っています。会社は、夫が自殺したのは一切ない責任ないはと主張しています。 私は、真実を明らかにし、夫の名誉回復をしたい。夫を殺した会社に責任を取らせたい。また、私たちのように、一生この辛い悲しい思いをする犠牲者が出ない様に、社会に訴えていきたいと思い、この訴訟を起こしました。この「倫理道徳の欠如した会社には本当に責任がないと言えるでしょうか?」という事を社会に訴え、経験を無視した配転・出向、C型肝炎という病気を知りながらの会社対応、夫の死の根本原因を、この訴訟を通して明らかにしていきたいと思っています。
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| 2007年12月17日に世界日報で掲載されました |
2007年12月17日に世界日報で掲載されました。 クリックして拡大して下さい。

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| 2007年10月2日に神戸新聞で掲載されました |
2007年10月2日に神戸新聞で掲載されました。 クリックして拡大して下さい。

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| 2007年9月12日に毎日新聞で掲載されました |
2007年9月12日に毎日新聞で掲載されました。 クリックして拡大して下さい。

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| 2007年7月1日に世界日報で掲載されました |
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| 2007年6月30日に朝日新聞で掲載されました |
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| 2007年5月30日に讀賣新聞で掲載されました |
2007年5月30日に讀賣新聞で掲載されました。 クリックして拡大して下さい。

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| 2007年5月30日に朝日新聞で掲載されました |
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| 2007年5月22日に毎日新聞で掲載されたました |
2007年5月22日に毎日新聞で掲載されたました。 クリックして拡大して下さい。

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| 小さい力が合わされば国をも動かす |
「薬害肝炎」全面解決への礎
原告団の真摯な訴えは人々の心を動かし,多くの方々が,ハンカチメッセージ,メール,署名等で支援を表明し,また,法廷傍聴,議会や官邸への要請,座り込み,街頭宣伝,団体要請,集会・学習会等に参加して下さいました。国に早期全面解決を求める地方議会決議も全国各地から次々出されるようになりました。昨秋の「418人の命のリスト」問題以降,連日のマスコミ報道によって,薬害肝炎問題は,早急に解決すべき国政の重要課題として,広く社会に認知されるところとなりました。
一人一人の力は小さくても,これらが合わさって大きな流れとなるとき,国を動かし,社会を変えることができるのです。
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私達は巨大資本の日本通運を被告として戦っていますが、 薬害肝炎原告はさらに大きな国を被告として勝利しました。
まさに、一人一人の力は小さくとも、みんなの力が合わされば国をも動かせるのです!
すごく勇気と希望を持てました。
リレーブログにありましたが、今回の法案は350万人のウイルス性肝炎患者のうち、 血液製剤の投与を立証できる約1000人に対して賠償がなされる枠組みが 作られたに過ぎないので、父のように感染の因果関係が立証できない人はたくさんいます。 これからも弁護団はそれらの人たちの救済のために戦っていく姿勢です。
彼らの勇気ある行動を本当に心から応援して行きたいと思います。
昨日母も朝四時から起き、この寒空の中、街頭ビラ配りに出かけていきました。 こうした一つ一つの活動もがんばれば結果が出るのだと信じて続けて行きたいと思います。 次回は、この街頭ビラ配りについて書きたいと思います。
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| 薬害訴訟原告らは福田首相と面会を果たし、改めて謝罪を受けた |
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080116-00000008-maip-soci
とうとうやりました、、、。 長年の戦いが一番良い形で実を結びました!
今回の法案は、肝炎患者が感染の因果関係が証明できれば 給付金を受け取る事ができますが、 患者さんのC型肝炎が治療により完治する訳ではありません。
これからが患者本人さんと支援するご家族の方の病気との本当の戦いです。
しかし、今回のケースは日本首相自ら面会し、 謝罪するというぐらい大きく社会問題となりました。 これでC型肝炎という病気の社会での認知度が上がり、 父のように会社勤めで病気の事、治療による副作用の事を 言い出せなかった人も積極的に治療に取り組めるのではないかと思います。
これだけ世論が動けば効果ある新しい治療法もどんどん研究されるし、 きっと副作用が少なく、仕事にも影響できないような治療も出てくるでしょう。
「父も後、数年生きていれば、、、」という思いはありますが、ほんとによかったです。
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| 世論を動かす力 |
長男です。
先日の日記で母が行なっている活動の一つに 「働く者のメンタルヘルス相談室」主催の 過労・うつ病自殺遺族者による展示会について触れましたが、 たまたま検索していたら、読売新聞社様が取り上げてくれた記事が 見つかりましたので、ご紹介しておきます。
過労自殺は社会問題…大阪で文芸誌掲載の遺作小説展
こうした地道な活動を続ければきっと世論が動き、 薬害肝炎訴訟の原告団の方達のように身を結ぶのだと思います。
「薬害肝炎訴訟 リレーブログ」に掲載している福田衣里子さんの日記に、 マスコミに取り上げられ始めたのは数ヶ月前からだが、 活動は5年も続けられてたと書いてありました。 350万人の肝炎患者への思いが原告団を動かし、 5年という長い月日の戦いを乗り越えさせる原動力になったのでしょう。
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| 薬害肝炎 救済法案が可決、衆院通過 |
薬害C型肝炎訴訟で被害者全員の一律救済を目指す「感染被害者救済給付金支給法案」が8日午後、衆院本会議に与野党共同の衆院厚生労働委員長提案の形で緊急上程された。同法案はただちに採決され、全会一致で可決し衆院を通過した。参院に送付され、11日に成立する見通しだ。
同法案は前文で薬害C型肝炎に対する国の責任に触れ、肝炎患者に対しては、裁判所がカルテなどで血液製剤の投与と発症の因果関係を認めれば、症状に応じて1200万〜4000万円を支払うとしている。給付金の請求期限は5年間。
採決に先立ち野党側は(1)給付金請求期限の延長(2)カルテ以外に手術記録なども判断材料に活用(3)投薬証明は患者本人の記録なども考慮(4)全肝炎患者への早期の医療費助成−−など5項目の検討課題を衆院厚労委員会決議として表明することを求め、与党側も受け入れた。これに伴い、与党提案だった法案はいったん取り下げられ、厚労委員長提案に変わった。決議案は同法案とともに、同委員会で可決された。
与党は、薬害に限らず肝炎患者を広く救済する「肝炎対策基本法案」を衆院に提出し、救済法案との同時成立を目指したが、民主党が提出した対案との調整がつかず、民主党案とともに継続審議となる。
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去年から状況が変わり、まさにあっという間に可決されました! しかしこの法案のより給付金を受け取れる条件として、 「裁判所がカルテなどで血液製剤の投与と発祥の因果関係を認める」 としています。
うちの父を含めて、何十年前に感染した人たちはこの条件が 給付金認定の大きなハードルとなるでしょう。
現在野党が出している提案が通れば、父の世代での感染者には 大きなメリットとなると思います。
「インターフェロン」治療はC型肝炎のもっとも効果的な治療ではありますが、 医療費がすごく高く、たくさんの方には大きな負担になります。 この政策でたくさんの人が救われる事を祈っています。
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| 薬害肝炎一律救済法案について |
長男です。
・薬害肝炎:自公が一律救済法案を衆院提出 週内成立見通し ・今年も肝炎患者の救済のために
いよいよ薬害肝炎訴訟原告団の活動の努力が実りそうです。 私は原告団の活動についてはマスコミに大きく取り上げられるように なってからしか知りませんが、きっと辛く地道は努力と活動は 長い間続けておられたんだろうと思います。
私の母も働く者のメンタルヘルス相談室、伊福様主催の うつ病自殺者遺族による「私の中で今、生きているあなた」展示会等に 参加し、京都・大阪・東京まで足を運んだり、 テレビ、新聞の取材に応じたりと、活動を続けております。
これらの長年がんばった努力が実を結ぶ時の喜びは計り知れないでしょう。 私達の戦いはまだまだ続きます。 この追い風に乗って大きく動いていきたいと思います。
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| ハリウッドとロサンゼルスの街が見下ろせる場所 |
明けましておめでとうございます。
昨年はいろいろお世話になりました。 今年もどうぞよろしくお願い致します。
アメリカには年末・年始を祝ったり、休みを取ったりする習慣がありません。 私も1/1は新年で休みがありましたが、12/31と1/2は仕事でした。 アメリカにずいぶん住んでいますが、やはり私も日本人なので、 正月のんびりできず、年末・年始から働くのはいまだに抵抗があります。
12/27に反対弁論書を母が弁護士を一緒に提出してきました。 次の裁判の日程は1月末になるそうです。 これで母も一息つけるでしょう。
裁判は心身ともに負担がかかります。 最後まで戦い抜くためには、息抜きが必要です。
私は、元旦の日ハリウッドの中心から少し離れた場所にある、 ハイキングトレールに行ってきました。 ここからの景色は絶景で、ここからなんとハリウッドとロスアンゼルスの ダウンタウンがすべて見下ろせます。
頂上までは45分かかりましたが、初・日の入りはとてもきれいで、 一年の始まりの日の過ごし方としては最高の過ごし方ができました。
こういう所にくると、父を連れてこれればよかったなと思います。


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