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大橋家 日通との戦い
父は日通に追い詰められ、自らの命を絶ちました。これは父の名誉を晴らすため、日通の実態を明るみにし、次の犠牲者を出さないよう始めた、私達と日通との戦いを綴った日記です。10年2月15日に安全配慮義務違反を認定され、父の名誉を晴らす事ができました。これからは、労働問題で苦しんでいる人達と、今も日通と戦っている人達への支援を趣旨とし、運営をしていきたいと思います。
2008年2月21日京都新聞で掲載されました
先日紹介した京都での展示会が京都新聞で掲載されました。
雨や寒さでたくさんの来客はなかったそうです。
母も風邪を引いて、医者に行ったそうです。

次回はもうちょっと温かい季節のほうがよいかもしれません。

この寒さの中、わざわざ足を運んでいただいた方に
この場を借りてお礼を言いたいと思います。

本当にありがとうございます。

クリックして拡大して下さい。
京都展示会

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「日通ハラスメント連絡協議会」が設置されました
長男です。

最近パワハラやアスベスト問題で立て続けに訴訟を起こされている日通ですが、
まったく労働環境を改善しようという動きはありません。
今も尚、たくさんの方はいろんな問題を抱え、日通の労働組合だけを頼りにしています。
しかし、日本通運の労働組合は会社のご用達組合であり、
まったく力になってくれないどころか、グッドウィル問題の時のように、
労災の事実さえも揉み消される恐れがあります。

私達と同じ悩みをお持ちの方は、ぜひ管理職ユニオン・関西に加入する事をお勧めします。

日通の労働組合にすでに加入されている方、加入されていない方でも
まったく問題なく、手間な手続きもなしで加入できます。

また、管理職ユニオン・関西(提携:働く者のメンタルヘルス相談室)では、
日通のあまりにもひどく、実例の多いハラスメントの問題対処のために
特別に、「日通ハラスメント連絡協議会]を設置されました。
電話番号は06ー6242ー8596ですので、ぜひお悩みの方はこちらにご連絡下さい。
パワハラ以外の悩みでも、なんでも相談に乗ってくれるそうです。

管理職ユニオン・関西や働く者のメンタルヘルス相談室には
私達も訴訟を起こす前からお世話になっており、
日通の事情もよくご存知で、きっと大きな力になってくれます。
ぜひ、一度相談してみて下さい。

管理職ユニオン・関西 (東京・東海もございます)
働く者のメンタルヘルス相談室

日通ハラスメント連絡協議会 06ー6242ー8596
どこが業績悪いの? 日本通運(株)
長男です。

東証に公開されている日本通運の業績を見ました。

日本通運業績

クリックして拡大して下さい。

営業利益も経営利益も毎年上がっています。

日通は株主にはニコニコ笑顔で業績向上の報告をし、
社員には業績が悪化しているからもっと働けと怒鳴り散らし、
いじめやパワハラを行い、社員が自殺すれば、
次の日にはお悔やみ言葉一つもなしに退職手続きの書類を持ってくる。
(この退職続きの話は実話です。 父の上司であるS氏は
父の死後24時間たっていないのに、気が動転している母に対し
退職手続きをさせようと何度も催促してきました)

売上が前年比から下がっている年もありますが、利益は上がっています。

これはきっとリストラ、退職強要、自殺で退職された社員が
たくさんいるからではないでしょうか?

共に戦ってきた、それも37年以上も会社のために誠実に働いてきた社員に対して、
日通はどうしてこんな態度、対応が取れるのでしょうか?

自分達だけ私腹を肥やし、社員は道具としてしか使わない。
本当に最悪の会社です。

絶対に化けの面を剥がしてやります!
「私の中で今、生きているあなた」展示会が京都で始まりました
長男です。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080220-00000039-kyt-l26

昨日2月20日から働く者のメンタルヘルス相談室主催の
「私の中で今、生きているあなた」の展示会が京都で始まりました。

この展示会は過労やパワハラのためにうつ病になり、
自殺された方の遺族による展示会で、
労災、民事訴訟、手記、被災者の遺稿、遺書を公開する物です。

ここから展示会内容紹介がご覧頂けます。

下記の写真が私達が掲載した写真の一部です。

父と母


展示会の写真


展示会は2月20日から2月23日までは京都 ひと・町交流館で
4月9日から14日まで尼崎アルカイックホール、
6月4日から6月8日まで大阪駅第2ビル5階になっております。

お時間のある方はぜひお越し下さい。
私達兄弟はいませんが、母が展示会に出席しております。
お越しの際は、ぜひお気軽に母に話しかけ下さい。
ご協力お願いします
提訴してから約7ヶ月になろうとしています。

私達親子は、沢山の日本通運の社員の方々、その家族の方々に、この事件を知って貰いたいと思っています、現在日本通運を相手取った裁判は私達以外にも行われています。

会社は(従業員を死に追い詰めた)最悪な事態をお起こしながら、大切な人を失った私達親子に誠意ある対応を見せてくれません。

私達親子は会社に過ちを認めさせ早期改善に努め、これ以上犠牲者を出さないようにして欲しい、弱者を守るのが強者であり、従業員を守るのが会社です。

権利を乱用して人を制圧する事は許されません,現在も労働者の権利を無視され、ひどい扱いをされている人や、人権侵害を受けている人たちのためにも、

私たちはなんとしても、この裁判に勝たなければなりません。


完全勝利の為、沢山の仲間(日本通運労働者)の人達、秘密は守りますので、どんな些細な情報でもかまいません、情報を求めています。

私は台湾出身で夫とは台湾の会社で知り合い、日本にきて約30年経ちます、がしかし今だに日本という国は、異国であり、日本人の方達の様に言いたい事が上手く言えないというハンディもあり、最近は自分も睡眠薬なくして寝る事が出来なくなって来ております。

私自身も挫けてしまわない様に、そして私達と同じ様に、挫けてしまいそうな方々、そして
支援者の方もどうか私達に

お力添えをお願いします。

この裁判は絶対に勝たなければなりません、このままでは何も変わりません、もうこれ以上悲劇は生み出したくありません。

みなさん一人一人の力が、大きな波となり社会を変える大きな力になります、どうかよろしくお願いします。
日通 代表取締役 川合社長への手紙
日本通運株式会社
代表取締役 川合正矩 様

謹呈

 突然のお手紙で大変失礼致します。

 私は、御社の日通旅行大阪支店に平成18年11月まで勤務しておりました大橋均
の妻です。

 去る6月20日、社長様宛てに“お願い”の文書をさし上げました。しかし、私に
とっては非常に残念で悔しいことですが、社長様が私との面談を断るというものでし
た。それも社長様よりでなく、代理人弁護士様からのものでした。

 ご存知かどうかわかりませんが、私の夫は、昨年11月5日に自ら命を絶ちました。
月日が経つのは早いもので、それから7ヶ月が過ぎています。

 夫は、貴社に19歳で入社以来、37年7ヶ月にわたって誠実に会社のために勤め
てまいりました。時には、家族のことも犠牲にしながら身を削って尽くしてまいりま
した。

 社長様は、私の夫のこと、夫が自ら命を絶ったことをご存知でいらっしゃいますで
しょうか。また、私や子供たちが、夫に対し御社のとってきた過去の態度や、夫が命
を絶った直接のキッカケとなったささいなミスへの上司の厳しい叱責の事実に憤り
をいだいている事をご存知でしょうか。

 もし、ご存知でなかったなら、速やかに詳しい調査をされ、御社として再発防止に
取り組んでいただきたいと思っているところです。

 少し経過を述べさせて頂きます。

 夫は、C型肝炎を患いながらも、多忙な業務に責任を感じ通院治療を続けながら仕
事に責任を持って努めてまいりました。遠方への単身での転勤・出向で思い切った長
期治療も踏み切れませんでした。

 勤続35年目の平成16年、C 型肝炎の治療を受けている医師から、治療の最後の
機会ですといわれました、私もぜひ入院治療をして欲しいと夫に頼みました。その事
を夫が上司にお願いしたところ、「なんでこの時期に休むのか」と問い詰められまし
た。退院後の自宅静養時に、夫は会社に迷惑をかけたので早期復帰に向けて会社にで
向きました。その折、職場復帰後「半年の通院治療をするなら、身を引いたらどうや」
と厳しい言葉で退職勧奨を受けたと、私は夫から聞かされました。こうした時期、夫
は精神的にも追いつめられたようでうつ病と医師から診断されました。

 御社として、病気を持ちながらの社員である私の夫への様々な配慮、法的には「安
全配慮義務」というそうですが、その事を果たされたのでしょうか。私と家族は、御
社が「安全配慮義務」を怠っていたのだと考えています。

 また、私の夫が命を絶った日、私は一人で呆然と放心状態でした。それでも、警察
の方から「ご主人のことは会社も関係があるから、電話をしておいたほうがいい。」
と言われましたので、私は電話をしました。この日、会社の島田課長さんらが自宅に
来られました。その場で、お悔やみを言うこともなく、ミスの「基本的な責任はご主
人にある」との発言をされました。夫が命を絶ったことで、退職となりほっとした様
子で、その責任は主人自身にあると強調したかったのかと、後から振り返って思いま
した。同行の中角さんは、退職の話までされました。翌日には、島田課長さんから電
話があり、退職手続きの書類を持参したいと、私にしつこく求められました。

 夫の葬儀の段取りも決まっておらず、アメリカにいる2人の息子の帰国日も決まっ
ていない中で、私が動転していたにもかかわらず、何の配慮もありませんでした。
その上司の方は、仕事上の退職手続きの事務処理かもしれませんが、私にとっては
夫の死に呆然とし、夫を支えられなかった自責にもさいなまれていた時だったのです。
こういった私や家族への配慮をしない夫の上司らの態度に、御社の社員を人としてみ
ない体質を垣間見ました。

 社長様はどうお考えでしょうか。

 さる5月29日から6月4日まで展示会「私の中で今、生きているあなた」が大阪
で開催されました。過労や職場の心労からうつ病になり自ら命を絶った50人の遺書
や家族の写真を集めた展示会でした。私の夫、大橋均の仕事上でのトラブルや、業務
現場でのプレッシャーなどが書かれた日記、本人の写真も展示されました。この写真
展は、大きく世間に取り上げられ大きな反響を呼びました。

 今回、東京においても6月30日から7月4日まで同様の展示会が行われています。

 社長様にもぜひご覧いただきたいのです。

 社長様の判断・決断で、私たち家族や、日本通運株式会社とその関連会社に働く従
業員に転機が訪れることを願っております。

 お返事をお待ちしています。

平成19年6月29日
大橋錦美

2月12日は夫の58回目の誕生日です。
今日2月12日は夫の58歳の誕生日です。

朝起きてくる夫に 「誕生日おめでとう」 というと少し照れながら 「ありがとう」 と言う姿を思い出します。

大橋均とはどういう人間だったのか、皆さんに知って頂けたらと思います。

夫は京都で生まれ、高校を卒業後、日本通運に19歳で入社、亡くなるまで37年間日通で働いていました。

夫は飛行機が大好きで、少ない休みには子供を連れラジコンの飛行機を飛ばしに行ったり、自宅でプラモデルを作ったりしていました。運動神経もいい方で、日曜日にはテニスに出かけることもありましたし、冬の休みには日帰りなどでスキーに行っていました。勉強も好きだった様で、毎日NHKの英語のラジオ放送を聞いて勉強するのが日課でした、英語のほかにも中国語を勉強していたり、はやくからパソコンを購入して勉強していました、40代を過ぎていましたけど、バイクの免許を取りに行ったりしていました。

亡くなる数年前にはバイクに乗る時間もあまりなく、次男の方にバイクを譲る優しさもありました。

普段は穏やかでとても優しい夫でした、争い事が嫌いでいつもゆったりとしていました、あまり饒舌な方でなく、自宅では亡くなる直前の時以外は、仕事の話をすることはほとんどありませんでした、真面目で穏やかで平和主義者でした。

いつも 黙々と根気よくいろんな事をチャレンジし、最後まで諦めずに頑張りや
さん、自分の時間が少ないながらも多趣味で、いろんな才能がありました。 私はいつも羨ましいく、子供達の憧れでした。

お誕生日おめでとう、今年もまた「ありがとう」と聞こえる気がします。

<石綿中皮腫>退職後発症も補償を…遺族、日通など提訴へ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080210-00000006-mai-soci

 ニチアス(旧日本アスベスト、東京都港区)の工場で、石綿製品などを運ぶ業務に携わっていた日本通運(同区)の元社員の男性が退職後に石綿がんの中皮腫で死亡したのは安全配慮を怠ったためなどとして、遺族が両社を相手取り慰謝料など約4700万円の損害賠償を求める訴訟を近く大阪地裁に起こす。

 中皮腫の潜伏期間が極めて長いのに、退職後の発症を社内補償の対象外とする日通の姿勢や国内最大の石綿企業だったニチアスの責任が問われる。

 提訴するのは、奈良市の吉崎忠司さん(当時67歳)の遺族。吉崎さんは1969年から2年2カ月、ニチアス王寺工場(奈良県)の駐在員として勤務。石綿の原石の荷受けや製品の積み込みに立ち会うなどした。退職後の02年に中皮腫と診断され、労災認定を受けたが、05年死亡した。

 作業時や事務所があった倉庫内は石綿粉じんが舞ったが、防護マスクは支給されなかったという。吉崎さんは生前「石綿ががんを誘発する危険物とは教えられなかった」と話していた。遺族は、両社が当時のじん肺法などに基づく注意義務を怠り、粉じん発生防止措置や換気装置による暴露防止などの対策も取らなかったとし、入院や死亡の慰謝料などを求める。

 中皮腫や肺がんは、石綿を吸ってから20~60年で発症。大手企業の大半は社員と退職者で大差なく、補償規定を設定している。ところが日通は、社員の労災死亡には2800万円を補償するが、退職者には適用しない。

 吉崎さんの2人の娘は「父はがんで苦しみながら、謝罪や企業補償を受けられず、無念の思いを残して死んだ。ニチアスも、工場周辺にも石綿をまき散らし、住民に被害を出しているのに十分に情報公開せず、工場内の父の被害も人ごとにしている」と訴えている。

 日通は「訴状を見て対応を検討したい」、ニチアスは「訴状を見ておらず、コメントを控えたい」としている。

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:2月10日2時31分の記事です。

また日通が安全配慮を怠ったために尊い一人の命が失われました。

このように提訴された方だけでもたくさんいらっしゃるのに
提訴はされていない方を合わせたら、

日通は何人の尊い命を奪ってきたのでしょうか?

いままでは私たちのように訴訟を起こす遺族がいなかったので
日通はこのような事件を闇に葬る事ができ、それでよしと思っていたのでしょうか?

どうしてこうやって尊い命が亡くなっているのに、労働環境の改善や、
いじめしかできない管理職の再教育ができないのでしょうか?

日通は社員が何人死のうとも、自分達に火の粉が降りかからなければ
まったく問題なしと思っているのでしょう。

きっと日通の代表取締役の川合氏はこの事は知らないでしょう。
私たちはまだそれだけの存在かもしれませんが、これからは違います。
これはらもっとたくさんの人が後に続き、立ち上がるでしょう。
そして、いままでしてきた事の社会的制裁を受ける事になるでしょう。

今訴訟を起こされている人達の決意を思い知るでしょう!
日通を相手取り遺族が損賠提訴 鬱病で自殺
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/080207/trl0802072335024-n1.htm

 鬱病(うつびょう)にかかった男性=当時(43)=が自殺したのは会社が十分な復帰支援をしなかったためなどとして、神戸市内に住む妻(49)ら遺族3人が勤務先の日本通運(本社・東京都港区)を相手取り、約1億1000万円の損害賠償を求める訴訟を神戸地裁に起こしたことが7日、分かった。

 訴状によると、男性は昭和53年に同社に入社。平成15年7月に大阪航空支店(大阪市西区)の国内貨物開発課長に異動になった。同月15日に鬱病と診断され、22日に上司に診断書を提出し休職を申し出たが、すぐには受け取ってもらえず、「会社にはリハビリのつもりで来い」などといわれた。その後、妻が診断書受理を強く依頼し8月7日から休職。同年10月14日に復職したが、28日に大阪府内の男性の実家で自殺した。

 遺族側は、日本通運側が十分な復帰支援を行わず、安全配慮義務を怠り、男性の鬱病を悪化させたとしている。

 日本通運広報部の話 「当社従業員が亡くなられたのは残念。訴状はまだ届いていないが内容を確認の上対応を検討したい」

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皆さんは昨日のこの記事を読まれましたか?

日通は私たちにしてきた事とまったく同じ事をしていました!

この方も父と同じように高校卒業後から長年会社のために働いてきたのに、
会社は病気への配慮は一切なく、誠実な社員を道具のように扱っていました。

いったい日通の企業倫理はどうなっているんだ!?

企業倫理とは「社会のルールを踏み外す組織行為(違法行為等)を抑制する」とあります。

しかし、日通の管理職の人間は自ら倫理道徳に欠けた言動を取り、
生産の力の落ちた社員を排除する事により、高い評価を得、さらに昇進していきます。

この記事を読んで再認識しました。 日通はどの社員に対しても同じ対応を取っている。
これは管理職の人間がそう教育され、その管理職の遺伝子が次に受け継がれ、
新しい倫理道徳の欠けた管理職の人間が生まれるのです。

この日通の体質を変えるには大きな力が必要です。

問題を起こした管理職を一人排除できても、
それは道端の雑草を一本引っこ抜いただけの事です。
この倫理道徳の欠けた遺伝子を色濃く持つ他の管理職は星の数だけいます。

日通自身が「この体質を変えなければいけない!」と強い意識を持たねば変わりません。

肝炎訴訟リレーブログの方のように私たちもみんなで一致団結し、
一つの組織として戦わなければいけません

皆さんはぜひ手を取り合って戦っていきませんか!
オフィスから見えるロスのダウンタウンの景色
長男です。

日記は書くときはいつも感情的になり、力が入ってしまうので、
今日は肩の力を抜き、趣向を変え、会社のオフィスから見える
ロスの景色を紹介したいと思います。

いつもブログ見てくださっている「戦っている」皆様、どうか心を休めて見て下さい。

写真はクリックすると大きくなります。

ダウンタウン

まずはオフィスがあるUS Bank Towerビルです。
西海岸で一番高い72階建ての高層ビルです。
そうです。 いつも映画でテロに狙われたり、最初に潰れるビルです。
私のオフィスはこの最上階の72階にあります。

テロにあったら、確実に死にます。 笑。

サンタモニカ

オフィスの西側の遥か先に見える海。
サンタモニカの海です。

ハリウッド

クリックして拡大して頂ければ見えると思いますが、
北西側から見える山は有名なハリウッドサインがあり、
その下の町はハリウッドになります。

夜景

時間は変わり夜景です。 これはオフィスの南側です。
この先は私の住むHarbor Cityになります。

夜景

これも南側ですね。

親元を15歳の頃から離れ、ずっと仕送りしてもらい、
ようやく親に胸を張って持てる仕事を持て、
これから親孝行、そんな矢先の事でした。

この景色を父にも見せたかった、、、。

果たせなかった親孝行
小さい頃は海外添乗で家を開ける事が多かった父、出張から帰ってくるのを楽しみにしていました、いつも添乗先のおみやげを買ってきてくれたので、それが楽しみで仕方なかった記憶があります。

僕が小さい時の休みは、忙しかったようであまりありませんでした、でも趣味の飛行機のラジコンを飛ばしに行ったり、キャンプやスキーと休みを使ってよく遊びに連れて行ってくれたものです。スキーは父から小さい頃ずっと教わっていました、そのおかげで今はスノーボードが大好きで、毎シーズン何度も行くようになりました。

添乗員という職業柄、観光地や歴史に詳しく、休みが取れれば近郊の観光地に連れて行ってくれ、その観光地の歴史や見所を私達に説明してくれました、僕達や母が海外に行く際は、手続きなどすべて済ましておいてくれましたし、現地での書類の記入の仕方や、注意点や旅行のアドバイスをよくしてくれました。

英語も堪能で、中国語も話す事もでき、日曜大工もとても器用にやっていました。
添乗員である父を小さい頃から誇りに思っていましたし、かっこいい仕事だとずっと思っていました。

僕がアメリカに来る前から誰にも言っていない事があります、本当に誰一人にも言っていません、それは僕が高校の時、父の影響でバイクの免許を取ったときから、ずっと考えていました。

生前一度でいいからハーレーに乗りたいと言っていた父、アメリカでバイクの免許を持っている兄と3人でアメリカでハーレーに乗って家族でツーリングしようと思っていました、将来働いてお金をためて、中古でも父にハーレーを買ってあげようとずっと思っていました。

ハーレーに本当に乗せてあげたかった、もっと添乗の話も聞きたかった、父の若い時の話も聞きたかった、もっと父と話たかった、僕の結婚式に出てほしかった、僕の子供を抱いてほしかった。

今でもはっきり言って、父が亡くなったのかどうかもわかりません、LAと日本、離れていて、ただ会ってないだけのようにしか感じません。

ただもう僕が思い続けてきた、
親孝行はできないという事だけが事実として僕の前にあります。

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