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大橋家 日通との戦い
父は日通に追い詰められ、自らの命を絶ちました。これは父の名誉を晴らすため、日通の実態を明るみにし、次の犠牲者を出さないよう始めた、私達と日通との戦いを綴った日記です。10年2月15日に安全配慮義務違反を認定され、父の名誉を晴らす事ができました。これからは、労働問題で苦しんでいる人達と、今も日通と戦っている人達への支援を趣旨とし、運営をしていきたいと思います。
リストラ対応マニュアル 
私たちが父の裁判始まる前からお世話になっている「管理職ユニオン関西」のホームページ内にある

リストラ対応マニュアル

について紹介したいと思います。

そのリストラ対応マニュアルにはリストラ”必殺”の十ヶ条というものがあります。

# メンツにこだわって一人で悩まず、家族や労働組合(管理職ユニオン)に早い時期から相談する。

# リストラの対象になったら、まず気を静めて、退職勧奨か解雇かを確認し会社の狙いを把握する。

# 誉め言葉、忠誠心に訴えての説得、経歴に傷がつく等の脅しには絶対に乗らないようにする。

# リストラ対象になった後の勤務態度等は特に注意し、会社に口実を与えないようにする。

# 会社と対決する場合、冷静に自分の置かれている状態を判断し言質をとられないようにする。

# 就業規則等の重要な資料は、日頃から必要な許可を得るなりして正当な手続きにより確保する。

# 労働法の基礎的知識を身につけ、就業規則等と照らし合わせて理論武装する。

# 辞めても良いと思っても、外見的には「絶対に辞めない」というスタイルを貫き通す。

# 会社とのやり取りは記録に残す。書面化するとか、会話を録音しておく。

# 退職届は絶対に書かないこと。退職届よさようなら、解雇通知よこんにちわ、の気持ちで構える。


会社からの不当解雇やリストラ、パワハラなどに対処するにはしっかりとした知識や正しい行動を取らなければ会社の思う壺になってしまいます、今回の裁判で私たち家族はいやと言うほど思い知らされました。しかし幸い私たちは父が生前の頃から管理職ユニオン関西でお世話になっていたので、いろんなアドバイスをもらい、それに沿って対応して為、裁判が始まってからアドバイスを本当に聞いていてよかったと思うことがたくさんありました。

まず会社は毎回言うことが2点3点します。

それは会社も把握しきれていない事があったり、私たちが確固たる証拠を出したりするからです。会社は平気でうそをつき、証言を有利に変えます、それを防ぐためにはしっかりと記録に残しておくことや、その時の状況などをしっかりと書き留めておく事が必要です。

またこのマニュアルの最初にもある通り、一人で戦うことはとても難しい事です。
正しい知識や経験ははやりこう言った労働組合に相談するのが一番確実で信頼できると思います、先日のニュースでも4月には非正規労働者だけではなく正規労働者の解雇問題が浮上するのではないかと予測が出ている程です。

今後の景気も今年が重要な鍵だと言われているだけに、自分の身を守る為にも労働者の権利を守る為にも労働組合に加入する事をお勧めします。

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日本通運 仙台パワハラ裁判 原告が勝訴を勝ち取りました!
しばらく仙台パワハラ裁判の近況情報をお伝えしていませんでしたが、先日原告のSさんが日通に対して勝訴を勝ち取ったとの朗報が入ってきました。

内容は「労働者日々の戦い」ブログから一部抜粋しましたので、詳細は下記リンクからご確認ください。

 日本通運の旅行支店に勤めていたSさんが、パワハラと戦いながら、不当な懲戒処分を訴えていた仙台パワハラ裁判。 Sさんはもともと兵庫県神戸市の出身であり、仙台へ転勤になる前は和歌山県の白浜で働いていました。仙台への転勤は、会社の嫌がらせ以外の何ものでもないと思います。まったく縁もゆかりもない仙台の地でSさんは戦い抜きました。最初は労働審判で、そして本訴で争いました。そして勝利。  社員に対して徹底的...
日本通運 仙台パワハラ裁判 原告Sさん勝利



去年の年末にペリカン便サービスドライバー原告が労働契約違反裁判の勝訴を勝ち取り、先日Sさんがパワハラ裁判の勝訴を勝ち取り、いよいよ日通は法の下で、いままでの悪事が暴かれ、そして社会的責任を取らされる時がきました。私たちも彼らに続き、勝訴を勝ち取り、父の無念を晴らしたいと思います。
日通社員は人間扱いされない
日通パワハラ自殺からの続きになります。 日通パワハラ自殺

自宅に救急隊員が来た後、警官5・6人が自宅にやってきました。自殺と断定され、自殺の動機や原因を時間を掛けて私に尋問し、詳しく調査をしていました。

私が夫の会社での事情を話すと、警官の方は「会社の方に連絡をした方がいい」と言いましたが、日曜日であった為会社に連絡できず、夫の手帳に書いてあった同僚の方に「夫が亡くなった」事を伝えました。

すると「パワハラ」を繰り返していた当事者の課長から連絡があり、ショックで話すことの出来なかった私の変わりに警官の方が、「夫が亡くなった」と伝えてくれました。しばらくして会社の次長2人と「パワハラ」課長の3人が自宅を訪れました。

その時に、夫が亡くなる直前に問題になったバスとホテルの手配の事について訪ねると、
課長は即答で「基本的ミスはご主人にある」と大きな声早口に弁明をしていました、その弁明振りを見て、「これでは夫も反論も出来なかったのだろう」と思いました。

そして営業次長は夫が亡くなったので「退職ですね」と言い、夫の顔も見もしないで帰っていきました。翌日の月曜日の午前中「パワハラ」課長から電話連絡があり、こういうやりとりがありました。

課長:「今日の17時頃に退職の書類を持って行きます。」
私:「お通夜も葬儀も決めておらず、息子達もまだ帰国していませんので、書類を見せられてもわかりません」
課長:「息子さん達はいつ帰国されるのですか?」
私:「今夜遅くです」
課長:「では明日持って行きます」
私:「お急ぎなのでしょうか?」
課長:「サインと捺印をして頂くだけで結構です。」
私:「ところでホテルの5室の手配は出来ましたか?」
課長:「なんとか取れました」
私:「よかったですね」

このパワハラ課長はしきりに退職の書類にサインをするように連絡してきました。

会社では月曜日に朝、朝礼で「日曜日に大橋さんが亡くなりました」と淡々と言い、特に亡くなった理由や経緯など一切説明せず、「何も聞くな」と言わんばかりの雰囲気だったそうです。

それを聞いて困惑した同僚の方が、直接私に連絡をくれ、事情を知った同僚の方はとても心を痛めてくれ冥福を祈ってくれました。

そして息子たちが帰国した翌日の7日に、夫が遺書を会社に残しているかもしれないと思い、息子たちが会社を訪問する事になりました。その時、夫のデスクのパソコンが起動しており、デスクトップ画面には顛末書があったのを息子たちが確認しました。そして社内メールもすでに起動していて、受信ボックスが開いていたようで、息子二人はその時、メールの受信箱に「イエローカード」というタイトルのメールが2通あったのを確認しました。

夫が生前私に見せてくれた「顛末書」と話していた「イエローカード」が実在すること私はその時再確認できました。

お通夜も葬儀も決まっていない、息子たちも帰国していない、一人の私に退職の書類にサインを執拗に迫ってき、会社では夫の事は一切話さないなど、亡くなった社員やその家族に対して、人として常識から大きく外れた日通の体質を、私たち家族は垣間見ました。

次回は夫の死後、日通との団体交渉について書きたいと思います。

日通が控訴 SD労働契約違反裁判
長男です。

2008年9月26日、日通ペリカン便サービスドライバー原告が勝利を勝ち取りましたが、被告日通側はその判決の結果を不服とし、控訴しました。

先日第一回控訴審がありました。それについての新しい情報を入手しましたので、掲載したいと思います。

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日通SD(サービスドライバー)労働契約違反裁判・第1回控訴審

大阪地裁で原告労働者側が勝利しましたが、被告使用者側の日通は判決の金も払わず控訴してきたので、ならばと労働者側は全額請求の付帯控訴を行なった上で、第1回の控訴審が1月14日に大阪高裁84号法廷で、約30人の支援の仲間が見守り、会社側は労務担当3人がチョコンと座る中、定刻に開催されました。
3人の裁判官のもと提出書面の確認等が行われたあと、主張整理のために弁論準備をすることになり、法廷では時間制限があるので、傍聴に5人ほどしか座れないラウウド協議室に移り、当事者以外は待機することに。
双方当事者が傍聴として見守る中、裁判官(1人)の指揮のもと双方の弁護士(労働者側3人、使用者側1人)が主張の整理をしました。
しばらくして終わり、その内容の報告が、支援者が待機していたところでありました。
主だった内容は次のとおりです。
 使用者側(日通)主張
・ (移行〈転籍〉にあたり)従前賃金の保障約束はなかった。
・ (就業規則や労使協定の)不利益変更の合理性は立証しない。
・ (移行後の賃金は)パーセンテージ(率)ではなく、金額で提示した。
 労働者側(SD)主張
・ 格別の理由(従前賃金の保障約束)があったと地裁が認めている。
・ (移行後の賃金が)仮に提示されたとしても合意させなければ契約にならない。
 どうも、会社側弁護士は、「従前賃金の保障約束はなかった」との主張だけは一貫していますが、あとは、前に言ってたことと違うことを平気で主張する(主張がコロコロ変わる)し、分かっていないのか、混乱を起こそうとしているのか、本当に地裁の判決を翻そうとしているのか真意が測り知れないのです。
 次回は、第2回弁論準備で、2月23日(月)午前11時30分、高裁13階のラウンド協議室。(傍聴はできませんが、終わりましたら、報告と意見交換があります)
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日通側の控訴の真意は何か?という点はたくさんの方の疑問だろうと思いますが、私は原告の一人として感じるのは、とにかく日通側は裁判を長引かせ、持久戦に持ち込み、原告側の資金を尽かせ、心身ともに疲弊させた所で、和解に持ち込みたいのだと思います。

私たちは2007年7月30日に訴訟を起こし、早一年半立ちました。私たちのケースは父の無念を晴らすまで戦い抜くという強い意志を持っているので、簡単にはくじけないつもりではいますが、正直「もう続けられない」「だめかもしれない」と弱気になったのは私だけではなく、母も弟もありました。

それだけこの裁判というのは原告に心身とも負担がかかるものなのです。日通側はお金さい払えば、後は弁護士に丸投げできます。資金は豊富にあるので、なんとか長引かせ、原告を疲弊させれば、後は簡単です。

サービスドライバー原告の方たちにはそんな日通には負けないように、がんばって戦い抜いてほしいと思います。ぜひ、皆様も応援お願いします。
日通パワハラ自殺
前回からの続きです。

夫は転属直後に突然の降格、降給を受けたり、C型肝炎治療の際の「退職強要」などの嫌がらせがエスカレートし、会社から追い込まれていました。しかし夫は以前から「名ばかりの管理職(ヤフーニュース参照)であった為、自分自身を守るため会社以外の「管理職ユニオン関西」に加入するしかありませんでした。

うつ病治療のために入院したのを機に、会社に管理職ユニオン関西の組合員になった事という加入通知を送りました。実際の加入は提出の約10ヶ月前ですが、この通知を出したことによって、退職勧奨がエスカレートするのを恐れ夫は提出をずっと拒絶していました。

すると案の定、会社は夫を別室に呼び、次長を含む3人で「なぜ組合に加入したのか?」と糾問しました。

この夫の行為に対する会社からの圧力はこれだけではありませんでした、突然の社宅退去、早期退職の募集の勧め(マイニュース参照)、しかし我慢強い夫はなんとかうつ病と付き合いながら「治る」と信じ、がんばって仕事と治療を続けました。

その甲斐あってか病状は安定してきました。

2006年秋頃、ずっと夫を心配していた長男から、自分の一時帰国に合わせて、家族旅行を計画していると電話があり、後日旅券と旅費が送られて来ました、しかしそれを聞いた夫は「もう有給休暇が一日も残ってないから、行けない」と言いました、長男は「じゃー隔週の土曜日休みを利用して1泊2日の旅行はどう?」と提案し予定を変更しました。夫は長年アメリカに住んでいる長男の帰りをとても楽しみにしていましたが、楽しみにしていた長男との再会、家族旅行の10日前の11月5日に自宅で自死しました。

その引き金となったのが、10月末の別の社員がした観光バスのキャンセルミスを科せられたり、前任者がしたホテルの手配ミスを知らずに引継ぎ、ホテル5室が手配できず、その責任を追及されました。

直後、上司からの異常な「責任追及」、執拗な「電話連絡」、もう後がないよという内容の2枚の「退場」を意味する「イエローカード」という社内メール、厳しく自分を責める内容の「顛末書」などが行われ、夫はひどく落ち込んで、食事も喉を通らず、ずっとふさぎ込んでいました。

食事もほとんど取らず、土曜日の出勤後には「死にたい」とまで漏らしていました。
私は夫に「月曜日に病院に行こう」となだめましたが、「月曜日はホテルの5室が取れるか、結果がわかるから休めない」と言いました。

翌日の日曜日、朝起きて来ない夫になんとか食欲を持たそうと、ごま油で野菜炒めを作りました、すると部屋から出て来て、数口を食べてました。とにかく食事は少しでも取ったので、少し安心したので、買い物行く事にしました。しかし心配で「すぐに帰って来るからね」と鍵をかけずに買い物に出かけ、息子たちに夫の様子を連絡し、私が出かけている間に、電話してもらうことにしました。

数十分後息子から、自宅の電話や夫の携帯に掛けても応答がないと、私に連絡があり、飛んで自宅に帰宅しましたが、すでに夫は息を引き取っていました。

日通は夫に対して異常なまでの責任追及をし、過大な圧力で責め続け、そして夫は苦しみに苦しむにいて、遺書も書かずに自宅で自死しました。

次回は夫の死後の会社からの対応について書きたいと思います。
日通の年次有給休暇の実態
前回の続きになります。 >>日通からの退職強要

結局元所属した日通旅行へ10年ぶりに返されました。長い間旅行業務から離れていた事もあり、夫はいつも以上に懸命に新しい仕事を覚え、こなしていましたが、復帰直後の職種変更により2005年2月頃から「慢性疲労」がピークに達し、起床後から出社直前まで、ひどい貧乏ゆすりを始め、家の中をうろうろと歩き回る様になり、それが日増しに悪化し、それを心配した次男が3月11日に精神科に連れて行きました。

医師の診察の結果「早急に入院する必要がある」と説明を受け、「鬱病」と診断されました。

しかし、夫は入院を拒絶しました、C型肝炎の治療入院と自宅待機で、前年度繰越分も合わせ最大50日間の有給休暇のうちすでに48日間を消化していたので、残りの有給が2日となっていた為、夫は「会社を休む事はできない」と拒絶しました。

しかし、うつ病は必ず「治る」病気である事、治療の為には時間を掛けて休息する事が大事であると再三の説明を医師から受け、会社への対応としては、「ドクターストップだと説明すればいい、気にせずに休養してはいかがですか?」という医師の提案に応じ、入院に同意しました。

やっと入院できたものの、入院中に保険指導員から会社の人を交え「面談をしたい」と連絡がありました。要求して来たのは「見舞い」ではなく、精神科病棟での「面談」でした。

会社からの新しい脅威に私達はどう対応すればよいのか分かりませんでした。私の対応によって、夫がさらに追い込まれるのではないかという不安と恐怖に、藁にも縋る思いで、病棟内の看護士の方に、事情を説明しアドバイスを求めました。

すると看護士は
「会社は冷たいものですね、医師は患者の味方です、面談は断ってもいいですよ。」
と言ってくれました。断り方がわからないと困っていた私に、看護士の方はさらにアドバイスをくれました。

「療養中なんで、ゆっくりさせてやりたいので面談はご遠慮下さい」と断ればいいと教えてくださいました、続けて「担当医に会社の人間が来たら、医師が対応してくれるように言っておく」と約束してくれました。

その後、私は何とか看護士の方のアドバイス通りに会社からの面談を断る事が出来ました。

この様に、日通は有給休暇の本来の目的である「労働者に十分休んでもらうこと、そして十分充電してもらって、元気に働いてもらう」という主旨を無視しただけでなく、

「有給休暇を取得した労働者に対して、賃金の減額その他不利益な取扱いをしないようにしなければならない」と定めた労働基準法の年休の規定(39条)の義務をまったく果たしていません。
(参照)年休取得者に対する不利益な取扱い

しかし、日通の夫に対する退職強要やパワハラはこれで終りませんでした。

次回は日通のパワハラの実態について書きたいと思います。


日通からの退職強要
前回のブログの続きになります。

日通のC型肝炎に対する認識

C型肝炎の入院治療の申し入れの際に上司から不快感を露わにされ、不当な扱いを受けました。

その後、なんとか入院はしたものの、この件が夫の心に「解雇される」という強い恐怖感を植え付けました、入院中も早期復職しなければというプレッシャーを感じながらの入院生活でした。

しかも入院中は有給休暇を使わされていたので、有給の残り日数を気にしてばかりいました。夫はこれ以上会社を休むとクビにされると思っていため、有給がなくなり欠勤扱いになる事に、非常に強い恐怖感を抱いていました。

退院後、医師の所見を郵送する様に言われていたものの、夫は会社に対する誠意で所見を直接持参し、会社に早期復職のお願いに行きました。

医師の所見を直属の上司に手渡し、業務に対するお詫びをした夫に対してその上司は、前回入院の申し入れの際に言った事を繰り返し言い、

また、「半年通院の必要があるなら仕事にならない。会社に迷惑を掛けていると思うなら,この際自分から身を引いたらどうや」と言いました。

この様に病者に鞭を打つ残酷な言葉を浴びせ、冷酷・残酷極まりない上司は退職強要をあからさまにしてきました、結局その日は、復職に関しての進展はなく、連絡があるまで自宅待機をするよう言い渡された。しかし夫は自宅待機の間も有給を消化させられ、無言の圧力を受け続けていました。

結局自宅待機は約1カ月以上も続く辛い日々でした。

この自宅待機の一カ月の間、夫は会社に自ら連絡しましたが、「今こちらでは他にやってもらう仕事はない」と言われ、私達家族や夫は「解雇される」のではないかという恐怖を感じざるえませんでした。

夫は「解雇」の恐怖と不安に怯える様になり、うつ病を発症しました。

昨年後半は派遣労働者の首切りが社会問題化されましたが、今年は正社員が「解雇」のターゲットになるのではないかと言われています。本文はこちら→[「退職勧奨」にあいまいな返事や感情的になってはダメ]

しかし日通では何年も前から、こういった退職強要が行われていたわけです。
日通のC型肝炎に対する認識
ここ数年、テレビや新聞で多く取り上げられる事が多くなった、

C型肝炎

現在の日本の感染者数は約200万人が感染者であると見られています。
C型肝炎に夫が感染していると指摘されたのは1995年、当時医師には最終的には肝がんになる可能性が高いと言われ、早期治療を勧められていました。

しかし、会社が忙しく休みが取れなく、なかなか治療に踏み切る事ができませんでした。肝機能を低下させない為、わが家の食卓は野菜中心となり、普段から行くことが少なかった外食は一層行かなくなり、食事の管理や運動を心掛け、酒もほとんど口にせず、懸命に体調管理していました。

努力の甲斐なく、肝機能の低下し続け、夫の血小板の値は徐々に下がり、医師にもこれ以上血小板の数値が下がると、C型肝炎の治療ができなくなると言われる程にまで低下しました。そして1969年4月の入社以来、勤続35年の年に当たる2004年に治療するには最後のチャンスと言う事、単身赴任先であった成田から家族の住む関西にもどると言う事で、C型肝炎の治療入院をしたいと話した上司には、

なぜ航空支店に転籍した直後に入院するのか?
旅行支店所属中になぜ治療を受けなかったのか?
何か今回の人事異動に不満があるのではないか?
ほとんどの社員があなたの事をを知らないから、職場でも理解が得られない。


と夫に厳しく責め立て、挙句に「こんな役に立たない人間をなぜ転勤させてきたのか、上層部にクレームを言う」とまで夫に言いました。

1937年10月に日本通運が設立されて以来、社歴の半分以上も働き、会社と運命を共にし、有給をほとんど使う事もなく、欠勤等もなく、会社に貢献してきた社員に対する扱いとしては、あまりにも非人道的な不当な扱いを夫は受けていました。

これは私の夫が受けた実際の出来事です。

この後も日通の非人道的な扱いは、日ごとに増していきました、次回はこの入院治療の後の会社の対応について書きたいと思います。

2009年度1月 日通裁判日程
元日の1:30~5:55まで生放送で朝まで生テレビ

「元日 SP激論 がけっぷち日本」

が放送されました。もちろん雇用問題がテーマです。

元日放送という異例さに、大きな社会問題として取り上げらている事は、皆さんご存じだと思います。しかし製造業、金融業、その他大手企業だけがクローズアップされていますが、表に出ない企業がどれ程あるのかも、知ってほしいと思います。

今年も日通を相手取った裁判はまだまだ続きます。

パワハラ裁判

1月14日 仙台 パワハラ裁判 13:10分 303号法廷 判決

会社の組織的ないじめ・嫌がらせによるパワハラに対する判決が下ります。

SD労働契約違反裁判

昨年9月26日、大阪地裁は原告4人の主張をほぼ認める原告勝利の判決をくだしました。

地裁判決 (要約)
移籍する前の労働条件を、同額保証する旨の約束があったとし、就業規則の改定は無効と認定

しかし日通は控訴理由書を11月18日提出し、下記の日程で控訴審が行われる事になりました。

第一回 控訴審
1月14日 13:45 大阪高等裁判所 8階 84号法廷
(今までの建物と違い、東側の別棟です)

現在までの原告の方々の活動は、今回の判決は原告4人だけに留まらず、移行組SD社員全員に適用されるべきと考え、会社に特別要求として、全日通労組・中央本部に対して「要請書」を提出され、新たに12名を加え会社に提出されました。

また同労組・大阪支部にも控訴審への「支援要請書」を手渡し、文書での回答を申し入れされました。

全日通「言論の自由」侵害裁判

第2回弁論準備
1月28日 14時 大阪地裁・第5民事部前・小部屋(8階)

*弁論準備で傍聴ができません。部屋の外で待機して結果の報告は聞くことができます。

人間対大企業との戦いですが、裁判が長引く覚悟を持ち潰されない様に、みんなで支えあって諦めずに日通から勝利を勝ち取りたいと思いますので、皆様のご支援をお願いします。

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