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大橋家 日通との戦い
父は日通に追い詰められ、自らの命を絶ちました。これは父の名誉を晴らすため、日通の実態を明るみにし、次の犠牲者を出さないよう始めた、私達と日通との戦いを綴った日記です。10年2月15日に安全配慮義務違反を認定され、父の名誉を晴らす事ができました。これからは、労働問題で苦しんでいる人達と、今も日通と戦っている人達への支援を趣旨とし、運営をしていきたいと思います。
大橋家日通裁判 証人尋問の日程
先日、2月19日に原告大橋家と被告日通側から提出されていた証人尋問申請用の陳述書が、裁判官により吟味され、証人及び日程が決定しました。

6月1日 被告会社 日通側証人尋問 4名

大阪地裁1010号廷

10時20分  保健指導員   50分
13時30分  当時の上司   15分
14時00分  当時の上司   40分
15時30分  総務担当者   15分

本人が亡くなった後から、提訴前に行われた2回の団体交渉、提訴に至ってからの公判の中で当時の総務担当者を除いた3名の証人は一切の表舞台に出る事はありませんでした。

真実は一つです、どちら側が間違った証言をしてるのか、皆様の公平な目で判断して下さい。

裁判も大詰めとなってきておりますので、たくさんの方の傍聴をお願い致します。


6月8日 原告 大橋家証人 2名


10時30分 原告次男 和広  80分
13時30分 原告妻   錦美  120分

37年7カ月の長期に渡って務めた日通、この37年7カ月という年月は私との結婚生活よりも長いもので、その長い間、有給もろくに取らず、一所懸命に働いてきたのに、会社からの退職強要やパワハラなどを受け続け、本人は大変苦しんで亡くなくなりました。 しかし、苦しめられたのは本人だけではなく家族も解雇の不安や恐怖に怯え、とても苦しい生活を送ってきました。その苦しい生活は今も続き、残された家族には夫を失った悔しさや悲しさをこれから一生背負って生きていかなければなりません。

そういった悲しみや悔しさ、当時家族や夫自身が感じていた恐怖や不安と行った生々しい真実を、訴えて行きたいと思います。



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5月20日 王寺アスベスト補償裁判の模様
 5月20日(水)午後4時から大阪地裁1010号法廷で、ますます増え続ける日通との勇気ある闘いの仲間と支援者が傍聴に駆けつける中、弁論が開かれました。裁判官は大橋家の裁判と同じです。
 進行協議と法廷とを交互で行なっているため、先の進行協議で大まかに決めたことを、その後の法廷の中で確認をしているので、改めてご報告します。

 まず、準備書面を各々提出し、原告は、葛城労基署に「粉塵調査をしたデーターを出しなさいと」裁判所から要求してもらっています。また、1972年に朝日新聞に掲載された「ニチアスが行政の規制が始まって行なった71年の粉塵調査で濃度が高かった」というデーターを出しなさいと要求しましたが、ニチアスは出す必要がないと答えています。亡くなった本人が働いていたのは1969~1971年の間です。
 また、本人は日通の駐在員として事務と作業手配などのためにニチアスの倉庫で作業応援もしながら働いていましたが、「倉庫の中で働いていない」とニチアスは堂々とウソをつきました。その点について裁判官は、「予備的主張はしないか」(「あとで、『倉庫の中に入っていた』と言うなよ」)と釘を刺しました。
 証人については、ニチアスが関係者を明らかにせず、日通が所長など3人を明らかにしていますが、余り当時の状況を知らない1人を出そうとしています。原告は、故吉崎さんと一緒に働いたことがあり接触していた、石綿(アスベスト)を吸っている、その他の2人を敵性証人として呼ぶことにしています。
 次回の進行協議は7月21日(火)午後4時、弁論は7月29日(水)午後4時です。
日通航空 第1回労働審判 支援者の報告
不当な懲戒解雇に対して申し立てた労働審判の第1回目が5月14日に開かれました。
会社側から5月1日に提出された答弁書と書証を検討して、この日に臨みました。

2回の謹慎処分のあとに3回目の懲戒解雇処分が出されていますが、1回目の処分の理由に7日間の無断欠勤があり、その期間の出勤表のコピーを会社が提出してきました。しかし、その中には年休と欠勤が交互にあって不自然なのですが、会社の言い分は、本人と連絡取れたときは年休で処理し、連絡が取れなかったときは無断欠勤にしているというものですが、本人は事前に会社に「体調が悪いので年休で休みます」と連絡しています。また、出勤表はあとでまとめ書きが常態化していましたので、時間記入がなくても実際はあながち欠勤とは限りません。

下車勤務については就業規則にはなく理由がない(恣意的な実質的制裁の意味がある)のではないか、マイカー通勤は会社が黙認していたこと、勤務時間変更の指示によって終業時間に帰っただけなのに無断早退にされた事については、勤務時間に管理者の確認印があり無断とは言えないのではないか、など委員からの意見がありました。また、運転業務に復帰を考えていたと言う会社側の主張に、検定も受けさせてもらえず復帰は絶望だったとの事実で反論しました。また、本人は職業が毎日自動車の運転でありながらゴールドの運転免許を持っている優秀なドライバーであることがわかりました。

労働審判は、1回目に集中審理をして、2回目は調停、3回目は審判、となっています。
次回2回目は、6月17日(水)午後4時から、大阪地裁8階の労働審判廷で行われます。
人件費削減のため企業で「名ばかり管理職」が蔓延
こんな記事を見つけました。

日通で一度でも就労されたご経験がある方は「名ばかり管理職」が何であるかご存知かと思います。ちなみに、人事労務用語辞典では、「十分な職務権限を与えられていないのに、肩書きだけを与えられて管理職とみなされ、残業代が支払われない従業員のこと」と記載されています。

父が亡くなる前に勤務していた大阪旅行支店での肩書きは「課長」でしたが、父の上司にあたる、問題の人物の肩書きも「課長」でした。なぜ同じ課に何人も課長がいるのか?流通業ではこの「名ばかり管理職」が多いとは聞いていますが、日通は本当に題名通り、「名ばかり管理職が蔓延」しています。経費削減のためにこういう処置を取る体質はすぐには直りませんが、こんな記事を見つけました。

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管理職でも残業代は出る!

簡単に言うと労働基準法上の管理監督者とは、管理監督者=経営者と同等の立場にある人
とされています。

それでは、 具体的な条件を確認してみましょう。
1.労務を管理する立場にあること
2.労働時間、休憩、休日の規定が適用されないこと
  (勤務時間が決められている時点でそれは管理されている労働者)
3.賃金面で十分に優遇されていること

管理職という事を理由に残業代を支給しない会社は珍しくありませんが、こうして法律上の条件を確認してみると中間管理職と呼ばれるほとんどの人が該当しないことが分かるでしょう。

管理職だから残業代が出ないというのは、残業代をごまかすために捏造された事実なのです。

だから「君は課長になったから残業代は出ないよ」
と言われても、騙されないように気をつけましょう!

会社がどんな役職名をつけようと、実態として上に挙げた条件を全て満たしていない限り、残業代は当然支給されるべきものだという事を忘れないで下さい。
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労働基準法上の条件を見ると、「管理職」と呼ばれる人のほとんどがこれらの条件を満たしていません。

部下がいなくて、どうして課長?
勤務期間が決まっているのに、どうして課長?
賃金が低くて、どうして課長?


この矛盾だらけの組織で不当な雇用条件の中で働らかされるのは耐えられない事だと思います。こういう不満をぜひ、管理職ユニオン・関西にご相談して、会社と戦う術を身につけてください。

ここから管理職ユニオン・関西にご相談ください。

自殺の原因、「うつ病」が最多
昨日のニュースです。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090514-00000005-cbn-soci

 警察庁は5月14日、昨年1年間の自殺者の自殺の原因・動機や年齢、職業などの詳細を明らかにした。それによると、原因・動機で最も多かったのは「うつ病」で、原因・動機が特定できた2万3490人の27.6%に当たる6490人に上った。

 同庁によると、昨年1年間の自殺者の総数は3万2249人で、前年から844人減少。
 年齢別に見ると、「50歳代」が最多で6363人(19.7%)。以下は、「60歳代」5735人(17.8%)、「40歳代」4970人(15.4%)、「30歳代」4850人(15.0%)と続いた。
 特に、「30歳代」は統計を取り始めた1978年以来、最多となっている。

 職業別に見ると、「無職者」が1万8279人で、過半数の56.7%に上った。以下は、「被雇用者・勤め人」8997人(27.9%)、「自営業・家族従事者」3206人(9.9%)と続いた。

 また、原因・動機が特定できた2万3490人について原因・動機別に見ると、「うつ病」が6490人で最も多く、27.6%を占めている。以下は、「身体の病気」5128人(21.8%)、「多重債務」1733人(7.4%)と続いている。
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一番多いのは50歳代という事ですが、ほんとに残念な事です。父も昭和25年の生まれで56歳で亡くなりました。私が思うに、50歳代の人は戦後の高度成長期に日本の社会に活気を取り戻すために、サービス残業は当たり前で、ろくに休みも取らず、必死で働いてきました。

私の子供の頃の父の記憶も、お盆や正月に行く家族旅行の時の父の姿しか覚えておらず、平日なんてまったく父と合ったり、話したりした記憶なんてありませんでした。土曜日も出勤していましたし、ほんとに働きづめだったんだろうと思います。

父の世代の人たちは、いわば現在の日本に基盤を身を削って作ってきました。そしてやっと定年を迎え、第二に人生を、誰のためでもなく、自分のために歩もうという時に、自ら人生の幕を下ろしました。本当にどうしようもなく悲しいです。父は多趣味だったので、まだ生きていたら、来年には定年を向かえ、孫と趣味に没頭する毎日を過ごしていたんだと思います。

父の同じ世代の50歳代の人が自殺という道を取れず、無事定年を迎え、孫と縁側で遊べる、そういう時代を取り戻せるよう、社会を変えていきたいと思う今日この頃です。
証人尋問の日までに無事帰宅できるのか?
長男です。

前回のブログでもご案内しましたが、来る6月1日と6月8日は証人尋問です。私と弟はその日程に合わせて日本帰国を考えています。帰国に関して、最近すごく不安に思っている事があります。

お察しの通り「新型インフルエンザ」です。

出発はロスアンジェルス国際空港で、西海岸では一番大きな国際空港で、ご存知の通り、日本へのインフルエンザ感染者はこの空港を利用していました。感染そのものには心配はしていないのですが、もし自分か周りの人に感染の疑いがあると、10日間ホテルで隔離されるので、そうなるとどちらの証人尋問にも出れないばかりか、そのままトンボ帰りでアメリカに帰らないといけません。

LAX


幸い、私の仕事の関係で、弟とは別の日程・航空会社で帰国する予定ですので、私と弟、両方が隔離されるという確立は少ないとは思いますが、まったくない事ではないので心配です。

実は過去に、私の結婚式に台湾からの家族がSARS(サーズ)で台湾から出国できず、来れなかったという事がありました。国内で隔離されていました。

裁判の一番大事であるこの場面でこの状況。なんとも不運としかいいようがありません。どうにか無事に帰宅できる事を祈っています。
尼崎アスベスト裁判 初回弁論
 4月23日(水)午前10時30分から神戸地裁尼崎支部1号法廷で、マスコミも駆けつける中、傍聴券が発行され、傍聴できなかった方も多く出るような状況で、初回弁論が開かれました。
 まず、Fさんから次のような意見陳述がありました。
 ―夫は、昭和11年に兵庫県養父市に生まれ、1956年~62年までの6年余り、日通尼崎港支店からクボタ神埼工場に石綿の入ったドンゴロス(麻袋)を運び、積卸ピット(引っ掛けて荷扱いをする)作業に従事していました。そのためドンゴロスに穴が開き、アスベストの粉塵が飛散し、マスクがなく全身が真っ白になっていました。
 私たちは、昭和34年に結婚し、光化学スモックを避け明石へ転居しました。夫は2004年12月から足のむくみと腹の膨らみが出てきて、病院に行くと、水がお腹にたまっていてアスベストによる中皮腫と診断されました。生き証人として労災申請しましたが、食欲なく、腹水が溜まってお腹が膨らみ、痛みが激しく一睡も出来ないので、モルヒネを投与し、2005年3月、68歳で亡くなりました。受診から4ヶ月のことでした。
 そのあと、今度は娘がまた中皮腫に・・・。幼児のときに父と接触していたのが原因です。娘は1999年に夫と死別し3人の子どもを育てていました。働いていた本人ではないので労災は適用されません。娘は昨年8月に亡くなりました。
 自分もいつ発症するかも知れない不安の中、2006年1月から日通と補償の話し合いを延べ6回もしましたが、責任者は現れず、「アスベストは運んでいない」と否認し、「退職者だ」と部外者扱いしました。―(要約)
 このあと、進行について裁判官から促されると、日通側は、「なにしろ50年くらい前の話、なかなか事実関係わからない」、クボタは「治験の証拠がない」と逃げましたので、証拠の出し方について5月21日(木)午前10時30分に進行協議を持つことになり、2回目の弁論期日は7月2日(木)午前10時30分、1号法廷に決まりました。
 裁判後にもたれたミニ報告集会では、まず弁護士より、原告からは訴状提出、意見陳述と進めたが、被告からは骨だけの答弁書が出ているだけなので次回までに主張の補充がある。原告は、膨大な証拠を提出し、被告反論に対する再反論を行う。と説明がありました。
 そして、この尼崎アスベスト裁判を支える会からのカンパ要請があり、旧国鉄の方から、アスベスト補償交渉で1年半かかりましたが、この3月に和解で解決しました。と報告があり、また、私たち大橋家の裁判がいよいよ証人尋問なので、傍聴の要請をしました。


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