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大橋家 日通との戦い
父は日通に追い詰められ、自らの命を絶ちました。これは父の名誉を晴らすため、日通の実態を明るみにし、次の犠牲者を出さないよう始めた、私達と日通との戦いを綴った日記です。10年2月15日に安全配慮義務違反を認定され、父の名誉を晴らす事ができました。これからは、労働問題で苦しんでいる人達と、今も日通と戦っている人達への支援を趣旨とし、運営をしていきたいと思います。
6月8日 大橋家証人尋問 錦美編 反対尋問
先日の母への尋問の続きです。

母は、反対尋問という事で、緊張で硬くなり、すごく早口で回答しており、被告弁護士もその早口のテンポに合わせて質問をしていたので、あまりメモが取れませんでした。ですので、質問事項だけの部分がありますが、ご了承ください。

被告弁護士が証明したかった事を私の理解で要約すると:
1.うつ病はC型肝炎のインターフェロンに起因する物で、会社と関係ない
2.管理職ユニオン・関西に相談したのなら、解雇の心配はする必要はなかったのではないか?
3.会社はいろんな配慮をしている
4.減給したのは理由がある
5.イエローカードは一通しか出していない

下記が実際のやりとりです。

「性格はどういう人でしたか?社交的でしたか?内向的でしたか?」
「社交的でもなかったし、内向的でもなかった」

「心配性でしたか?」
「そんなに心配性ではありませんでした」

「家族に対してはどうでしたか?」
「やさしかったです」

「夫婦仲はどうでしたか?」
「よかったです」

「祖父と曾祖母の介護はどんな介護が必要でしたか?」

「週に何回介護をされていたのですか?」
「週に1~2回」

「C型肝炎に罹患しているといつ知りましたか?」
「1995年、会社の健康診断で知りました」

「なぜ罹患したかは知っていますか?」
「いえ、知りません」

「なぜ興味がなかったのですか?」
「夫が何も言わなかったので、聞きませんでした」

「C型肝炎はどういう病気は知っていますか?」
「何も治療しなければ、肝硬変になり、最終的に肝がんになる病気を理解しています」

「治療方法はご存知ですか?」
「食事制限やインターフェロン治療があると理解しています」

「インターフェロンの副作用はご存知ですか?」

「インターフェロン治療は成功しましたか?」

「ウイルスが増えて、再度インターフェロン治療を受けるとき、うつ病が心配だったので、治療を受けるか考えてらっしゃいましたよね?」

「テニスをしてらっしゃったのはご存知ですか?」

「減給された後、給料の差額はどれくらいあったかご存知ですか?」

「会社の業績が悪化していたのはご存知ですか?減給は大橋さんだけではなく、全員下げられていました」

「管理職ユニオンに相談しに行ったとき、管理職ユニオンからなんと言われましたか?」

「どうして、うつ病ではなく、自立神経失調症と書いてもらったのですか?」

「復職までの様子はどうだったですか?」

「その時住んでらした社宅を退去してもらう理由がどうしてだけご存知ですか?」

「会社はどうしましたか?」

「結局は飼い犬が住める家に住めましたよね?」
「はい」

「ホテルの手配ミスについて、始末書の内容は覚えていますか?」

「イエローカードの内容はご存知ですか?」
「『もうあとがないよ』という内容だと聞いています」

「何通もらったと言っていますか?」
「2通です」

「2通の意味は知っていましたか?」
「その時は知りませんでした」

「誰から教えてもらいましたか?」
「管理職ユニオン関西の方です」

「団体交渉の一回目は2通という話はしていませんよね?」
「はい」

「会社は30万の損害をかぶらさすと言っていたのですか?」
「はい」

「均さんの精神状態に異常が見られたのはいつですか?」

「どんな状態でしたか?」

「また、うつ状態がひどくなったのはいつですか?」
「手配ミスのトラブルがあった後」

「インターフェロンの副作用はありましたか?」

以上、書き留められたらのこんな感じでした。
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6月8日 大橋家証人尋問 錦美編
だいぶ遅れましたが、母の尋問の模様を、私見なしに、できるだけ客観的に書いていきたいと思います。

やりとりはできるだけメモを取ったのですが、抜けている部分があり、一部辻褄が合わない部分がありますが、ご了承ください。

主尋問

「羽田タートルサービスの社長に『君は49歳だから行くところがない』と言われたそうですが、それはいつ聞きました?」
「言われた数日後です」

「その時はどう言っていましたか?」
「『とてもくやしい』と言っていました。『またこれからの生活が気がかり』とも言っていました。」

「その時はどういう時期でしたか?」
「夫の同僚の方が陳述書で書いて下さった通り、会社にはリストラの嵐がふきあれていた時期でした。」

「具体的な人員削減の動きはありましたか?」
「50歳前後の管理職を対象にした希望退職を受け付けが、何度かありました」

「二人のお子さんは大学生で、一番学費がかかる時期でしたよね?」
「はい」
「また同時期に均さんの同僚で陳述書を書いて下さった方が、パワハラを受けています。その方は、上司に呼ばれ『南紀白浜行くか、会社をやめるか』と選択を迫られ、『いつまでも会社が君を養ってやる事ができない』と言われいる通り、会社には明らかなリストラの動きがあったようですね」

「2004年、関空に転勤してから給料が下がっていますが、均さんはなんて言っていました?」
「『減給されて、平社員に降格された』と言っていました」

「それから翌年xxx万、その翌年xxx万、その翌年xxx万、その翌年xxx万と毎年減給されていますが、どうしてだかご存知ですか?」
「理由はわかりません」

「ご主人は何か言っていましたか?」
「給料が下がって学費が大きな負担になる事を気にしていました」

「あなたはどう思いましたか?」
「主人が気にするから、何も考えないようにしました」

「2004年3月24日の均さんの日記で『死にたくはないが、、、執着がなくなる』『苦労をかけて錦実がかわいそう』と書いていますが、後で読んでどう思いましたか?」
「夫はずっと会社に解雇される事を心配していました」
「それはどうしてですか?」
「出向を命じられたり、リストラの対象になりやすい50台であったり、早期退職で人員削減の動きがあったりして、自分が解雇の対象になるのではないか心配していました」

「入院の申し入れをした時、均さんは『こんな役にたたない人間、、、上層部にクレームする、、、』と言われたそうですが、その時の様子はどうでしたか?」
「ひどく落ち込み、とてもくやしいそうでした」

「『会社に迷惑なら身を引いたらどうや?』と言われた時の様子はどうでしたか?」
「その日は、郵送で送ればよい主治医の所見を、『会社にいろいろ迷惑をかけているから、直接、誠意をもって、持っていき、復職のお願いをする』といい出かけました。そういう気持ちで、少しの希望を持って夫は出かけたので、そういう言葉を浴びさせられ、ショックで、家に帰ってくるなり、背負っていたリュックをソファの横に置き、ソファに倒れこんで、『解雇される』、『首になる』と怯えていました。」

「労働組合に入った通知を会社に見せたらどうされましたか?」
「3人の上司に別室に呼ばれ、非難されたと言っていました」

「精神科の先生の所見には自立神経失調所と書いてありますが、それはどうしてですか?」

「ドクターストップで入院しなければいけないと先生に言われましたが、夫はうつ病でと診断される事、そうすると有給が無くなってしまう事(すでにC型肝炎の入院で有給がほとんど使い果たしていたから)、欠勤扱いにされ、会社での立場が悪く事を心配し、入院を拒否していますので、先生が配慮して下さって、そう書いて下さいました」

「主治医の所見では残業は控えるように書いてありましたが、残業はされていましたか?」
「毎日8時から9時に帰宅しており、月に2~3回は土曜出勤もしていました?」

「均さんはイエロカードを何通もらったと言っていましたか?」
「2通と言っていました」

「どんな内容と言っていましたか?」
「もう後がないよ、という意味だと聞きました」

「『2通』にはどういう意味があるか、わかっていましたか?」
「聞いた時はわかりませんでした」
「サッカーではイエロカードを二枚もらうと退場という意味です」

「ご主人はなんて言っていましたか?」
「『自分だけミスを負わされた』『30万円損害を払わされる』と言っていました」

「普通の会社では社員のミスで損害があった場合、その損害を負わすという事はありませんが、30万という金額は大変大きな金額ですが、日通ではそういう事をさせているのですか?」
「そういう事がたびたびあるとたくさんの方から聞きました」

「手配ミス問題があった時、携帯に同じ番号の着信履歴が5回もありましたが、誰がご存知ですか?」

「わかりません」

「自殺の直接の原因となった手配ミス問題の時、均さんはどういう様子でしたか?」
「ひどく落ち込んでおり、食事も喉が通らず、部屋から出てきませんでした。ひどく悩んでいたので、月曜日会社を休んで病院に行ったら、と言うと、『月曜日はホテルの件で会社にいかないといけない』と言っていました」

だいだいこのような内容の尋問で、主尋問が終りました。次回は、反対尋問の内容を書きたいと思います。続く。




昨日は父の日でした
昨日(アメリカ時間)は父の日でした。

弟を自宅に呼んで、ささやかですが、父の日のお祝いをしました。うちには、略式の物ですが、父の仏壇があります。

father.jpg

子供の頃は、父の日になると、きまぐれに近くのショッピングセンターに行って、子供のこづかいで買える、1000円くらいのネクタイを何度かプレゼントした事を覚えています。学生の頃は遠くにいるのをいいわけに、電話さえもしなかった事が多かったと思います。

去年、私も子供が産まれ、人の親になり、初めて親の愛の大きさと深さを実感しました。父は母と僕達二人のために、最後までがんばって会社と向き合って生きていました。

ろくに親孝行ができなかった自分が腹立たしくてしょうがないです。父が亡くなって、ずっと後悔している事です。

もっと父と話したかった。
もっと父とキャンプに行きたかった。
もっと父とラジコン飛行機を飛ばしにいきたかった。
もっと父とお酒を飲みたかった。
もっと父が好きなアメリカで、時間を過ごしたかった。
もっと父にいろんな事を教えてもらいたかった。
父に初孫になる子供を見てほしかった。
「おじいちゃん」と呼ばれるのをいやがる父を見たかった。

もっと一緒にいたかった。

「時は悲しみを忘れさせてくれる」と言いますが、なかなかそうさせてくれません。色あせない、いろんな記憶が鮮明に残っています。

やはり、私達と同じ悲しみを持つ人たちを無くしていかねばなりません。この裁判が良い方向に進み、日通の体質が改善され、うつ病や仕事に苦しむ人たちに、良い希望の光を照らせるよう、切実に祈りたいと思います。
6月8日 大橋家証人尋問 和広編
先日行われました、大橋家の証人尋問についてご報告いたします、少し長くなったので、次男の和広、母の錦美をそれぞれ分けて書きたいと思います。

6月8日の10:30分より大阪地裁1010号法廷で私、次男和広の尋問が行われました、
前回に続き多くの支援者の方々、管理職ユニオン関西の組合の方々が傍聴にいらしてくださり、傍聴席は満席となり、交代で傍聴しなければいけない程でしたが、私たちの証言には大変励みになりました。

私も母も前日から緊張しており、証言台の前に座った時、私は非常に緊張していました。

主尋問は事前に提出されている陳述書通りに行われるのですが、練習していた通りに発言できず、さらに緊張しましたが、井上弁護士の巧みな質問で予定通り、しっかり主尋問に答えることが出来ました。また陳述書の中に書きれなかった、当時の状況などもしっかり主張できたと思います。

何分ぐらい主尋問が行われたかは自分ではまったくわかりませんでしたが、井上弁護士の「最後の質問です。」という言葉に、いよいよ反対尋問が始まると思い、心を落ち着かせる様に、自分に言い聞かせました。

反対尋問の2つの大まかな手法としては
・冷静に事実を突き詰めていく
・証人を感情的にさせて証言の信憑性を失わせる

と事前に井上弁護士から聞かされていたので、冷静に質問の内容をしっかり理解する事に専念し、わからないことは「わからない」と言う様に心がけていました。

被告日通側代理人の弁護士は冒頭に父の性格や生前の普段の様子に関する質問をしてきました、その後はインターフェロンの副作用についての認識や、闘病生活中の話、管理職ユニオンに加入したいきさつやイエローカードに関する質問が続きました。被告日通側弁護士が質問してきた内容には、主張するべきしっかりとした理由がすべてにあり、私はありのままの真実を話し、時には陳述書に書ききれなかった事実など証言しました。

特にイエローカードに関しては質問が多かった様に思います。しかしこの問題に関しても実際に私と兄が見ている事や、メールの内容を見なかった事には、しっかりとした理由やそうできなかった状況が事実としてあるので、私はそれをはっきりと主張しました。

イエローカードについては井上弁護士から私が立証しなければならない最も重要な点と言われていたので、もっと鋭い質問があるかと覚悟はしていたのですが、私に関しては終止鋭い質問はなかった印象です。兄や他の支援者の方々からアドバイスを受けていた通り、ゆっくり考え発言する事ができと思います。

最後に裁判官からイエローカード関する質問がありましたが、ここでも事実を主張できたと思います。

尋問終了後、井上弁護士からも「安心して見ていられました。」とお言葉を頂きほっと安心しましたが、手に持っていたハンカチはビショビショに濡れていました。

本当に証言台に立つという事は神経をすり減らすとても疲れるもので、並々ならぬ緊張が襲うこともあり、冷静に発言する事はとても難しかったです、しかし私が言いたかった事の少しは主張できたと思います。

反対尋問中、何度も傍聴に来て頂いてる方々を思い、応援に答えねばと思い「冷静に」と何度も言い聞かせていました、支援者の方々がいる事で緊張を和らげる事もできました。

2日間、お仕事を休んで頂き遠方わざわざ足を運んで下さった方々には本当に感謝しております、
皆さん本当にありがとうございました。

後日母の報告も致します。
兄弟とも無事アメリカに帰ってきました
長男です。

先週、原告側である私たちの証人尋問が無事に終わりました。証人尋問の模様は詳しく、次回の更新で書かせていただきますが、まず傍聴して来て下さった人にお礼を申し上げたいと思います。

私たちの証人尋問も午前と午後に分かれていましたので、傍聴に来て下さった方は、丸一日私たちの裁判に時間を費やして下さいました。また、被告側の尋問の傍聴にも来て下さった方は、合計二日間も私たちの裁判のために時間を作っていただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。改めて、私たち家族がどれだけたくさんの人に支えられ、支援されて、ここまでこれたのかを実感しました。

証人尋問当日は私たちも余裕がなく、来て下さった方全員に直接お礼を申し上げる事が出来ませんでしたが、何人かの方とは、やっと直接お会いする事ができ、本当に嬉しかったです。

管理職ユニオン関西の方、サービスドライバーの方、その他の方、お名前は母より聞いており、いままで直接お会いできなかった方と、話をしたり、楽しくお酒を飲む事ができ、本当に楽しい時間を過ごさせていただきました。

父のために、これだけたくさんの方が集まって下さった事は、きっと天国の父も鼻を高くして喜んでいると思います。

7月16日に、裁判の最終的な方向を決める進行協議があります。また、被告・原告弁護士は結審のための、最終弁論書も準備しておくようにと伝えられていました。いよいよ、私たちの裁判も終結が近くなってきました。

私たちにできる事はほぼ終わりましたので、後はみんなの努力が結果に出るよう、ただただ祈るばかりです。
大橋家裁判 被告証人尋問の模様
今日は先日行われた、被告証人尋問の模様をできるだけ、客観的に、私の主観なしに書かせていただきます。

元保健指導員への尋問

声はすごく聞き取りづらく、消え入りそうな声で証言をしていました。裁判官や弁護士に、何度も聞き返され、大きな声で答える様に促されていました。

日通側弁護士は、冒頭に「あなたは最後まで出廷するのを迷っていましたね。それはなぜですか?」と質問し、元保健指導員は、「大橋家ブログを見て、社会から抹殺すると書かれていたので、子どもも家族もいるし、とても怖かった」と答えました。

原告弁護士は、反対尋問の中で、「自律神経失調症とうつ病の違いは何か?」、又 「あなた一人で何人の社員を担当していたか?」、「他にメンタルヘルスの問題を持っていた社員はいなかったか?」 など様々な尋問を行いました。

上記の質問に対して、「鬱の症状はふさぎ込む、自律神経失調症の病状広い」とだけ答え、当時の大阪旅行支店のおおよそ120人の社員を担当していた事、その中で他にもう一人の精神疾患の方が居た事を答えました。

次長

「なぜ成田から転勤してくる前に入院しなかったのか!」「転勤して来るなり入院するなんてどういうことか」,「こんな役に立たない人間を何故転勤させてきたのか!上層部に文句を言う」と発言があった事については、「大橋氏にそういった事を言った事実は認めるが、文句ではなく、大橋氏の能力あった仕事が他にあるのではないか、他の部署に異動させたらどうかという意見書を出した。」と答えました。

また反対尋問の際に、「身を引いたらどうや」という発言に関しては事実を認めた上、「家族と病気を抱えた50代の人に会社の上司からそのような発言をされたらどう思う?」という原告弁護士の質問に対して、「今思えば申し訳なかった、配慮が足りなかったと、後悔していた。自分もうつ病に罹患しているので、疾患がある人の気持ちがわかる」と答えました。

課長

課長に対する父の勤務状況についての尋問には、「私が赴任してからは、残業はまったくなかったし、土曜出勤はなかった。」と答えました。 反対尋問の中で、父の病気に関する認識、転属前の仕事に関しては、「C型肝炎で治療を受けている事知っていたが、うつ病に罹患している事はまったく知らなかった、また「転属前の仕事の内容は知らない」と答え、

イエローカードについては「出したのは一枚」、また「イエローカードという題名をつけたのは、注意という言葉よりも軽い意味でつけた。内容は、ミスをしたのはしょうがない、3連休はゆっくり休んで、連休明けから頑張ろうという内容だった」と答えました。

反対尋問では「サッカーでは警告という意味だから、あたなは上司からそのようなメールが出されたら、どう思いますか?」という質問では、「イエローカードに対する一般人の認識はわからない。」と答えました。

総務

総務の方は私達が父の遺品を会社に取りに行った時の証言をしました、「二人から1メートルくらい離れた場所で静観しており、二人の行動を阻止などはまったくしていない。」 また「イエローカードというメールが2通あるという主張が原告から行われた後に、自分がメールの受信欄を確認した時、イエローカードは枚数は一枚であった」と答えました。

など、ここには記載しきれない、細かな質問がありましたが、主に行われたやり取りはこう言った尋問でした。傍聴に来て頂きました、支援者の方々、傍聴の後に夜遅くまでお酒を酌み交わし、熱い議論やアドバイスをして頂きました皆様、本当に有難うございます。

私達兄弟は本日これよりLAに帰国します、
私達原告の証人尋問のご報告はLA帰国後にさせて頂きますので、いましばらくお待ち下さい。

皆様本当に有難うございました、重ねてお礼申し上げます。


日通労働者連絡会が発足
こんにちは次男です。

本日 大阪地裁 609号法廷 午後1時30分

より行われた、梅川さんの全日通「言論の自由」侵害裁判の傍聴に行ってきました。

多くの支援者が訪れ、私を含め7・8名の支援者が法廷に入りきらず法廷の外で裁判を見守る事になりました、途中退席者があったので、私一人が法廷に入り、全日通側の証人の尋問を傍聴する事ができましたが、全日通の証人の反対尋問中に傍聴席の支援者からは失笑が何度か起こりました。

尋問を控えた私にとってはとても有意義な傍聴でありました、
詳しい報告は梅川さんから後日ありますので、そちらを拝見下さい。

さて本題になりますが、

本日 2009年6月5日 大阪弁護士会館にて

日通労働者連絡会」が発足致しましたのでご報告いたします。

日通労働者連絡会の活動目的は、

日通関係の労働相談窓口として、新たな闘いの支援を行う

日通から被害を受けた方々の情報交換と交流と学習と支援の場とする

現在日通を相手取って行われている7件の裁判、1件の労働審判の支援


連絡先

「アルバイト・派遣・パート 関西労働組合」

大阪市北区東天満 2-2-5 第二新興ビル 605号
電話番号:06-6881-0110 FAX:06-6881-0782
Email:mu-ohhashi@mu-kansai.or.jp

担当 大橋直人氏 
(名字がたまたま私達と同じです)

なお、相談に関しては秘密厳守の元、無料で行っておりますのでご相談がある方は
お気軽にご連絡下さい。

あなたは一人ではありません、

みんなで闘いましょう。



大橋家裁判 原告証人尋問日程
先日の6月1日に行われました、被告会社(日本通運)の証人に対する証人尋問は終わり、次回下記の日程で原告側の陳述が行われます。

6月8日 大阪地方裁判所 1010号艇

10時30分 原告次男 和広  80分
13時30分 原告妻   錦美  120分


上記の日程で行われます、引き続き皆様の傍聴を心よりお願い申し上げます。

たくさんの事実をできる限り多く裁判官の方に伝える事ができるよう、
証人尋問に望みたいと思います。

前回は沢山の方がお忙しい中、傍聴に来て頂きまして誠にありがとうございました、法廷の中でも2番目に大きな法廷であったのにも関わらず、支援者の方々でほぼ満席になり、私達も大変勇気づけられました、ここで重ねてお礼を申し上げます。

沢山の支援有難うございます。

大橋家裁判 被告日通側の尋問が終わりました
たくさんの方は裁判の結果はどうだったのか、興味があると思いますが、今日は客観的裁判の報告ではなく、私個人の気持や意見について書かせていただきます。

「決戦」といえば表現は大袈裟になりますが、私はそのつもりで当日を迎えました。父の自殺の直接的原因を作った人達が証人として上がるのです。どうしても感情の高鳴りは押さえられませんでした。

怒り、不安、心配、いろんな感情がありましたが、私は一つ心に決めた事がありました。私達は真実と事実を元にこの戦いに挑んでいる、証人や被告弁護士の言動に惑わされず、胸を張って、自分に自信を持って、冷静に相手と自分と向き合おう。

今回は被告側証人の尋問でしたので、直接私は言葉を発したりする必要はありませんでした、当事者として、法廷に出席するのはさすがに緊張しました。刑事裁判の模様は、テレビやドラマで見た事はありましたが、まさか私達の民事裁判があのような大きな法廷で、ドラマのように行われるとは思いませんでした。後から聞きましたが、通常は民事裁判はあのような大きな法廷では行われる事はなく、私達のケースは裁判所にそれだけ大きく取り扱われているのだと聞きました。

すべての証人尋問通して、強く私の印象に残った事は、

人は誰でも良心があり、嘘は簡単につけない

そして、

人が人を裁く、難しさ

でした。


証人達は一人一人、証人として法廷に立つ動機・目的は違うと思います。一人は会社のため、一人は自分の名誉のため。しかし、不純な動機・目的で証言台に立ち、真実と事実を偽る事は、普通の人間にはできないのです。

今日証人台に立った方達にも、親がいて、子供がいて、週末に家族でショッピングにいったり、ドライブいったりする、普通の毎日を送っているのです。私達とは変わらない、ごく普通の人達なんです。

その人達が証人なんです。真実は偽る事ができません。それが私が受けた印象でした。

そして、再認識しましたが、罪や根本的原因はこの人達にあるのでなく、そういう人達を作ってしまった、日通の企業体質にあるという事です。

これが根本的に解決されなければ、私達のような犠牲者はいなくなりません。私達が裁判がよい方向に進む事により、このような事が起こらないよう、抑止力となる事を切実に思います。

最後に私達の裁判を傍聴しに来てくれた方、応援してくれた方、心より感謝しています。
次回は裁判の結果について詳しく書きたいと思います。





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