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大橋家 日通との戦い
父は日通に追い詰められ、自らの命を絶ちました。これは父の名誉を晴らすため、日通の実態を明るみにし、次の犠牲者を出さないよう始めた、私達と日通との戦いを綴った日記です。10年2月15日に安全配慮義務違反を認定され、父の名誉を晴らす事ができました。これからは、労働問題で苦しんでいる人達と、今も日通と戦っている人達への支援を趣旨とし、運営をしていきたいと思います。
王寺アスベスト補償裁判が勝利!
判決は、来年2011年3月30日(水)午後1時10分、大阪地裁1010号法廷で言い渡されました。

支援の傍聴者や取材陣が押し寄せ、傍聴券の抽選となったため法廷内に多くの方々が入れなくて外で見守る中、判決が言い渡されました。

2~3分して、法廷から勢いよく出てきた支援者が「勝利!勝利!」と喜びの第一声。

大きな拍手が沸き起こりました。

そして、大勢の支援者が来ていましたので、場所を大阪労働者弁護団事務所に移し、報告集会が持たれました。

判決の主文は、「①日通社内規程にある弔慰金2800万円は棄却②日通・ニチアスに対し安全配慮義務違反で妻が1300万円、子二人が夫々650万円の損害賠償を認める。③裁判費用は責任割合で会社7、原告3を負担」でした。7割勝ったということになります。

まず、原告である妹さんから「2002年春に父が中皮腫とわかり、それから9年間、目の前が真っ暗になることが何度もありました。その度に立ち上がり歩くことができました。父の姿が前へ前へと導いてくれたからです。会社は責任が及ばないように額をどう減らそうかに終始していましたが、弁護士さんの書面、応援の方々を心強く思っていました。」

お姉さんは「裁判を始めるめで3年かかりました。父は安らかな最期ではありませんでした。「あとは頼む」と。アスベストで殺され、企業のやりとりで辛かったことが一生なくならないで続きます。皆さんが共感して下さったからここまで来れました。」

そのあと、尼崎アスベスト裁判を闘う遺族から「あとに続く、他人事ではない、涙が出るほどうれしかった、勇気をいただいた。」と言葉があり、そして、奈良ニチアス元社員、泉南アスベスト裁判、日通元SD差別、全日通労組立候補の自由侵害裁判、の夫々闘う方々から、ねぎらいの言葉や報告があり、その後の記者会見に臨みました。

その模様は多くのマスコミから取材があり、たくさん報道されました。

その後、原告も被告も控訴したと連絡がありました。

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