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大橋家 日通との戦い
父は日通に追い詰められ、自らの命を絶ちました。これは父の名誉を晴らすため、日通の実態を明るみにし、次の犠牲者を出さないよう始めた、私達と日通との戦いを綴った日記です。10年2月15日に安全配慮義務違反を認定され、父の名誉を晴らす事ができました。これからは、労働問題で苦しんでいる人達と、今も日通と戦っている人達への支援を趣旨とし、運営をしていきたいと思います。
尼崎アスベスト裁判 第13回期日(証人尋問) の報告
2011年10月13日(木)午前10時15分から神戸地裁尼崎支部3階1号法廷において、延べ3日ある証人尋問の最初で、原告側証人の尋問が行なわれました。

まず、Mさん(中皮腫で亡くなったSさんの妻)
・昭和43年から52年の間に日通尼崎港支店の小型トラック運転手をしていた夫から日通大物倉庫の大きなプラットホームでアスベストの仕事を始めた頃も仕事の話を毎日のように聞いていました。
「海上コンテナで週に2~3回来る。5~6名で1回2~3時間、多いときは3台来て丸1日かかる。アスベストはビニールに覆われていたが間からこぼれていた。ホームは風通しが悪くアスベストの粉塵がもうもうと舞っていた」
・昭和41年に子供が生まれていたので、作業服・タオル・靴下を子供が着るものと一緒に洗わないように言われていました。キラキラ光っていたアスベストは「チクチク痛く子供に良くないから」と。
・夫は、首・腕・手が赤く腫れ痒ゆそうにしていました。
・アスベストが危険だとは、日通から聞いていませんでした。
・平成13年に中皮腫と診断され、抗がん剤を飲み、髪の毛が抜け、吐き気で食欲がなくなり痩せ細り、胸膜を全摘手術しましたが、平成15年に亡くなりました。
・日通に、規定の補償を求めましたが、退職者は部外者と言われました。
*日通側からの反対尋問では、「アスベスト専門でなかった、アスベストの袋の大きさが記録と違う、退職後は健康だった」などと的外れな質問をしていた。
*クボタ側からの反対尋問では、「ホームには高い屋根があり壁が左にあった、車庫は露天、コンテナからアスベストを卸してホームに積み上げ、運ぶ時は大型トラックに積み替えてSさんは小型なので運んだことはない、尼崎杭瀬に20年くらい住んでいた(答え:尼崎クボタから近くない)、タバコは?(答え:1日1箱吸っていた)」などの質問をしていた。
*裁判官からの質問の答えでは、「アスベストの色や種類は聞いていない、アスベストを吸っていた時期は昭和43年から52年の間だった、赤く腫れたようになっていた」などが明らかにされた。

次に、Aさん(クボタ神崎工場へアスベストを運ぶ仕事をしていた日通尼崎港支店大型運転手)
・アスベストの運搬は週に2~3回、昭和36年~46年まで約10年間、大物車庫に出勤面着し神戸港で積み込みクボタ神崎工場へ平台にシートを被せて運ぶ。倉庫のハイ付け40段、倉庫手が手カギを使いコンベアに入れドテっと80㎝の落差があるトラックの荷台に落とし、運転手は荷台上でハイ付けをする、アスベストは目の粗いドンゴロス(麻袋、茶色、30kg)で表面が破れていたのが一杯あった。引っ張り放り投げて移動するたびにホコリが出る、換気はなかった、すごいホコリで自分のタオルで口を巻いた。破れた袋から荷台にこぼれたアスベストは箒で掃いて倉庫内に落とし、それを倉庫手が掃いて棄てる。すごいホコリで1時間くらい、宵積みもある。アスベストが危険だとは教えられていない、マスク着用指導受けてない。
*日通側からの反対尋問では、「クボタは昭和38年から契約してない(答え:昭和46年までしていたと認識している)、粉塵を吸ったら悪いと知っていたんですね?(あまりに当たり前なので、傍聴席からブーイング)、胸膜クラークで石綿肺ではない(答え:新しいのがあるから見せましょか?)、焼石炭粉も洩れますね?(答え:破れたら洩れる)、事務所にマスクが置いてあった(答え:ヘルメットは置いてあったが知らない)、Hさんはマスクをしていた(答え:個人的にしていた)、組合に言わなかったのか(答え:言えなかった)
*クボタ側からの反対尋問では、この事件で関係のない昭和50年からの海運倉庫での仕事を確認したあと、「それ(海運倉庫に異動する)までは尼崎港支店所属だが大物倉庫に出勤し面着-朝礼-体操していましたね、神戸港では何倉庫で大きさは?どのような仕事を?(答え:三井倉庫・三菱倉庫でクボタ神崎工場の4倍くらい、アスベストを高くハイ積み、トラックは1台づつ入り作業指示は倉庫会社の社員)、貨車は?(答え:アスベストはなかった、アスベストは嫌な仕事だったから覚えている)、(答え:昭和34年から2年余り『日通クボニ作業』でアスベスト製品の横持作業をしていた。クボタ神崎工場での作業は荷台の上での作業、ガーゼマスクを1回だけ着けたことがあるが自前で、ヘルメットだけ会社貸与で軍手・手カギも自前=これには尋問していた高野弁護士もビックリ!)、「四塩化チタン」など他の有害物質も扱っていましたね?(答え:「四塩化チタン」は知っています)
*裁判官からの質問の答えでは、「昭和38年から10年間とは鉄パイプを含めて、当時は痒いや腫れたはなかったが、定年退職してから出てきた、他の人もマスクをしていたのを見ていない」
*原告側の再質問で、「日通から防塵マスクの用意はありましたか?(答え:そんな物ありません)」
ここで、丁度正午になり、休憩を挟み、午後1時30分から再開されました。

最後に、Yさん(『日通クボニ作業事務職社員としてクボタ神崎工場内でアスベスト製品出荷業務に従事)
・昭和35年に『日通クボニ作業㈱』に入社し、昭和43年に『クボニ運送㈱』となり、クボタ神崎工場内事務所で昭和62年まで働いた。
・リストを受け取り、日通や山本運送他に車を手配。
・貨車で来た原料を倉庫に積卸の応援、月に1~3回、『日通クボニ作業』に作業員(貨車積要員)がいてた。
・アスベスト原料の運び込みで、クボタ正門左側の日通クボニ作業事務所の前を通って走る日通のトラックを障害物がなかったのでよく見えよく見ていた、石綿倉庫は原料倉庫で昭和43年頃までアスベスト原料を運んでいたのを見ていたが事務所が移動したので見えなくなった。
・(昭和38年に日通はアスベストの運搬をやめ、昭和38年~42年は山本運送で運んでいたと言っているが?)山本運送はアスベスト製品を運搬する業者だ。
・原料倉庫は扉が閉まっていた、ドンゴロスの目に手カギを入れて引っ張りながら動かす、パレットの上にアスベスト原料を積み、フォークリストで運ぶ。
・ドンゴロスが破れると粉塵に暴露した、タオルを巻かないと首の回りがチカチカする。
・クボタから、防塵マスク・水撒き・濃度測定・清掃・換気機器・危険指導など、まったくなかった。
・個々人がタオルを首筋に巻いていた。
・自分は「胸膜クラーク」に罹患している。
・アスベストが原因の死亡(中皮腫・肺がん)は、貨車積要員(現場監督)が現職の間に2人、退職者2人、梱包場内作業女性1人、アスベスト原料を運んでいた運転手の奥さんが1人洗濯や風呂で発病し死亡、他に中皮腫の疑いで亡くなった人いてる、アスベスト原料倉庫での積卸で粉塵を吸っているから健康被害があり原因は分かっている。
・自分も、中皮腫、肺がん、合併症にかかる恐れがあり、怖い。
*クボタ側からの反対尋問での答えは、「ほとんど構内横持作業だった、入社した昭和35年頃のアスベスト製品出荷は日通がしていた。出荷は貨車とトラック、原料を入れる仕事、日通の事務所があり日通クボニ作業と合同で使っていた、単に事務ではなく付属する仕事をしていた、昭和43年までに「ストライキやられたら困る」と日通の事務所が撤退した、日通が撤退してから日通クボニ作業→クボニ運送になった、貨車で運ばれてきた時(7両の内1両だけに石綿原料が入ってくる)に手伝っている、トラックは手伝ってないが毎日ではないがよく見ている、扉を開けてトラックやフォークリフトが出てくるとホコリが倉庫の中から舞って出る」
*日通側からの反対尋問での答えは、「昭和35年から車と出荷の手配、人手が不足の時は第一線の現場に出て行った、月に2~3回(1回1時間以内)は石綿袋(ドンゴロス)を触った、昭和62年までクボタ神崎工場にいて中に入ったことあり働いている姿を見たがマスクをしていた記憶はない、クボタ社員も原料倉庫の中でマスクはしていない、工場内にマスクの備え付けはない、昭和46年よりあとに住建材を加工するときからマスクを付け出した」
*原告側の再質問で、「日通がアスベスト原料を運んでいたが、山本運送を1回だけ見たときは、ビックリした、何でか?珍しかった、山本運送は製品輸送していたから、原料輸送を日通が指示したと思う」
*裁判官から、昭和36年の航空写真でクボニの事務所の移動前と移動後の位置を確認、「日通は昭和35年から移動するまではポツリポツリあったが昭和43年に完全撤退、アスベスト製品に関して日通から日通クボニ作業に移ってから①日通②山本運送③クボタ出入業者の順に運送依頼(委託=下請)した、昭和43年以降も日通に依頼した、日通は破損が少ないから。アスベスト原料に関しては昭和43年以降クボニはタッチしていない」

午後3時頃に閉廷後、弁護からまとめがあり、
「Mさんには妻として①夫の話で間接的に立証②闘病生活の大変さ、Aさんには作業していた立場から、Yさんには貨車積要員の応援をしてクボタ社員からここに置けと指示されていたことなどを証言してもらった」
最後に、Kさん(元全日通労組尼崎港分会委員長、元兵庫県会議員)から、「しっかり証言していただいた、無念を晴らしていただきたい」と締めくくられました。


【証人尋問】
☆ 10月13日(木)10:15~17:00---原告側(済)
★ 11月10日(木)10:15~17:00---被告側
☆ 11月24日(木)10:15~17:00---原告

【結審】予定
☆ 1月

【判決】予定
☆ 3月


ぜひ、支援の傍聴参加をお願いします。

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日通エルダー(定年継続再雇用)不採用裁判
新しい裁判が始まります。

 組合選挙で、一度目は、選挙ビラの所信を削除、二度目は、役員立候補を拒否した裁判で、両方とも高裁の完全勝利が確定しています。一度目は、最高裁への上告を取下げ、二度目は、最高裁への上告を諦めました。
しかし、二度目の裁判で、「1年更新のエルダーにも2年任期の役員選挙に立候補できる」と高裁が判示したのに恐れをなした、「労使一体」を声高々に謳う全日通労組は、会社と結託して、41年半もの永きを勤めた梅川さんを「仕事ができないから」と再雇用を拒否してきました。全日通労組は、立候補できないように、日通は、職場から追い出すために、利害が一致したのです。

 梅川さんは、全日通労組に団体交渉するよう求めましたが、支店委員会でお茶を濁し、「進展がないから」と早々と協議を打ち切りました。

 9月、協議会書記長選挙に立候補しましたが、案の定、雇用問題で異議がある場合は組合員資格を失わないのに「立候補資格がない」としてきました。

 日通に団交を申し入れ、裁判を提訴!

 梅川さんは、理由も言わないエルダー不採用は不当だと、日通を相手に、地位確認の裁判を、9月29日の定年退職日の翌日、9月30日に提訴しました。その前の9月23日には、天六ユニオンから団体交渉を申し入れています。

 初回期日が決まりましたので、ぜひ、多くの傍聴参加をよろしくお願いします。

初回期日

*11月4日(金)

*午前10時30分~

*大阪地裁610号法廷


王寺アスベスト裁判・控訴審の模様
 9月21日午前10時30分から大阪高裁82号法廷で第1回控訴審弁論が開かれました。

 まず、提出された書面と原本が確認され、「日通は答弁書を出してない、ここで“棄却を求める”と日通が言った事にします」と裁判長から言われ、いい加減な日通です。

 日通は、「(原告に)反論したい。89歳の証人を70歳ぐらいに見えるから申請したい」と言い、ニチアスは「一部反論したい」と言って、亡くなった本人の手帳の提出を要求。

 裁判長は、「予見可能性の時期の検討が充分出来ていない。期日をもう1回したい。日通は2800万円を400万円にしているが『(原告は、その)改定自体を認めない』と理解している。」とし、和解の可能性を三者に聞き、原告は和解の話し合いに応じる。日通は和解の話し合いはしてもよい、ニチアスは和解の話し合いは難しいと答えましたが、裁判長は「話し合いを試みて、ダメなら速やかに進行する」としました。次回は(傍聴できない)弁論準備で11月9日(水)午後4時からに決定。

 閉廷後、場所を大阪労働者弁護団事務所に移し、弁護士から解説がありました。

 「裁判長は交代したので書面を充分読めていないようだ。亡くなった本人は1969年~71年までニチアスの王寺工場に日通から専属として配属され働いていた。定年退職後の再雇用時に中皮腫を発病。一審は両方に責任ありとしたが、衛生管理者資格があったからと1割減額。双方控訴した。日通は『本人は衛生管理者であり本人責任。粉塵濃度は高くなく安全配慮義務が必要ない状態だった』、ニチアスは日通の主張に加え『直接雇用でないから安全配慮義務はない』と主張。裁判長は『予見可能性を調べたい。特に予見対象が何であるか考えたい(「危険だと分かっていて対策すべきだった」と言えるか?)』『石綿肺はアスベストを多量に吸い込むとなり、危ないからこうしようと言われていたが、中皮腫は少しのアスベストでもなる新しい病気で、そのように言われていなかった』に対し、原告は『医学的にもはっきりしていて対応も求められていた』と主張。本人の日記のように付けていた手帳をニチアスが証拠漁りをしてきて提出することになった。衛生管理者で1割減額判決については、資格はあったがその地位になかった(実際に着任していなかった)と原告が主張。裁判長が『和解になる事件、試みをしよう』と、次回は弁論準備となった。日通は証人を2人申請するようだが、一人は高齢であったり、もう一人はハッキリ覚えていなかったりで、必要ないと言うつもり。判決の前に、もう1回弁論がある。一審判決の仮執行宣言で強制執行できるが、日通もニチアスも、それぞれ担保金を積んで“(強制執行を)やめてくれ!”と申し立てたが、その金額が、双方合計で3600万円にもなり、一審判決は2600万円で、裁判長は「それだけ金を積んでるのだから、原告に払ろたれよ!」という意味のことを言っていた。日通は直接雇用だから和解でもという考えがあり、ニチアスは直接雇用関係ないから、判決で判断してもらいたいがあるんでは」

 その後、尼崎アスベスト裁判の飯田さんから今後の裁判日程、全日通労組裁判で2連勝の梅川さんが定年退職後の再雇用を断られたと言う報告がありました


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